森部金山(読み)もりぶきんざん

日本歴史地名大系 「森部金山」の解説

森部金山
もりぶきんざん

[現在地名]丹生川村森部

森部谷もりぶだに川上流にあった金山。金山は隣接する折敷地おしきじ村の呂瀬ろつせとともに呂瀬金山と通称された。高山藩主金森重頼は鉱山開発に力を入れ、越前から茂住宗貞らを招いて各地の鉱山を開発したが、森部金山もこの頃宗貞が開発したと伝え、宗貞屋敷そうていやしき佐渡から来た金山師が住んだという佐渡屋敷さどやしきなどの地名が残る。元禄七年(一六九四)検地帳によると、六人の金山師がおり、田少々と畑四町五反余・高七石余、ほかに焼畑一反余(見取場)を所持している(丹生川村史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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