日本歴史地名大系 「椋橋城跡」の解説 椋橋城跡くらはしじようあと 大阪府:豊中市庄本村椋橋城跡[現在地名]豊中市庄本町一丁目庄本(しようもと)町一丁目の椋橋総社付近にあったと伝えるが、市街化のため痕跡も残していない。所在比定地は神崎・猪名(いな)両川の合流点に近く、淀川の舟運と文安二年(一四四五)から三年の「兵庫北関入船納帳」にみえる尼崎(あまがさき)・杭瀬(くいせ)・梶島(かじしま)(現兵庫県尼崎市)などの良港を押える目的で築かれた城郭であろう。応仁二年(一四六八)七月二五日、西軍大内氏が当城を攻めたのに対し、細川勝元の被官夜久主計允が当城に籠り奮戦した(「細川勝元感状」夜久文書)。文明二年(一四七〇)七月一六日にも大内氏の攻撃にさらされ、守護代薬師寺与一の臣夜久主計允が撃退している(七月二一日「細川勝元感状」同文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by