日本歴史地名大系 「椋浦」の解説 椋浦むくのうら 広島県:因島市椋浦[現在地名]因島市椋浦町三庄(みつのしよう)村の北東、因島東端の白嶽(しらたき)ヶ鼻近くの入江にあり、北東に燧(ひうち)灘を望む。三方を標高約二、三百メートルの山で囲まれた孤立する集落。宝徳二年(一四五〇)の刻銘がある中庄(なかのしよう)村金蓮(こんれん)寺の瓦の一枚に「椋浦分 四郎衛門 太郎衛門 右馬二郎 三郎衛門 二郎大夫 二郎衛門」の記載がある。近世独立村として高付されたのは寛永一五年(一六三八)の地詰の折と思われ、正徳二年(一七一二)の「所務役人頭庄屋郡邑受方記」では「椋之浦」として高五八・七〇四石。「芸藩通志」も同高を記し、畝数一四町九反余、家数一八〇・人口七四二、牛二、船三五(一千六〇〇石以下)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by