椿忠雄(読み)ツバキ タダオ

20世紀日本人名事典 「椿忠雄」の解説

椿 忠雄
ツバキ タダオ

昭和期の神経内科学者 東京都立神経病院長;日本神経学会理事長;新潟大学名誉教授。



生年
大正10(1921)年3月16日

没年
昭和62(1987)年10月20日

出生地
東京

学歴〔年〕
東京帝国大学医学部医学科〔昭和20年〕卒

学位〔年〕
医学博士(東京大学)〔昭和32年〕

主な受賞名〔年〕
新潟日報文化賞(第18回)〔昭和40年〕「水俣病の研究」,環境庁環境保全功労者〔昭和55年〕,紫綬褒章〔昭和58年〕「神経内科学の研究」

経歴
昭和20年東大副手、助手を経て、31年米国カリフォルニア大学留学。32年東大助教授。この時代、北海道釧路の原因不明病を仲間と共同研究し、39年スモンと診断。40年新潟大教授に迎えられるが、研究を継続し、45年スモン病キノホルムが原因と断定し、その使用を禁止する。55年東京都立神経病院初代院長に就任。日本神経学会理事長、日本学術会議会員。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「椿忠雄」の解説

椿忠雄 つばき-ただお

1921-1987 昭和時代後期の神経内科学者。
大正10年3月16日生まれ。母校東大の助教授をへて昭和40年新潟大脳研究所教授となり,51年所長。55年東京都立神経病院長。新潟水俣(みなまた)病を発見,またスモン病がキノホルムによる薬害であることを究明した。昭和62年10月20日死去。66歳。東京出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「椿忠雄」の解説

椿 忠雄 (つばき ただお)

生年月日:1921年3月16日
昭和時代の神経内科学者。東京都立神経病院長
1987年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の椿忠雄の言及

【阿賀野川有機水銀中毒事件】より

…一般には新潟水俣病(みなまたびよう)事件と呼ばれている。1965年6月,新潟大学椿忠雄が新潟県下の阿賀野川下流流域に居住する漁民に水俣病患者が集団的に発生していると公表した。原因は,河口から六十数km上流にある昭和電工鹿瀬(かのせ)工場のアセトアルデヒド製造工程から流された排水中のメチル水銀化合物によるものであったが,昭和電工は,新潟地震の際,新潟港埠頭(ふとう)倉庫に保管されていた水銀農薬が津波に流され,信濃川から日本海に出,塩水くさびによって阿賀野川下流を汚染したとして抗争したため,67年6月,患者が昭和電工を被告とする日本初の本格的公害裁判を提起した。…

※「椿忠雄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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