国指定史跡ガイド 「楠木城跡〈上赤阪城跡〉」の解説
くすのきじょうあと(かみあかさかじょうあと)【楠木城跡〈上赤阪城跡〉】
大阪府南河内郡千早赤阪村桐山にある山城跡。上赤阪(坂)城とも呼ばれる。大和国と河内国を結ぶ千早街道から登りつめた金剛山の西方の支脈の先端に立地する。城は周囲約4kmで千早川の渓谷を利用し、北には北谷、南東には妙見谷、東には風呂谷があり、城の背後だけが金剛山の山頂に連絡している。本丸は河内平野を見下ろす標高352mにあり、一の木戸から四の木戸までの櫓(やぐら)や曲輪(くるわ)が登城道に配され、四の木戸のある算盤(そろばん)橋付近には堀切りや竪堀がよく残っている。元弘年間(1331~34年)に楠木正成(くすのきまさしげ)が築城し、前衛の城として下赤阪城、本城として上赤阪城、詰めの城として千早城という配置であった。1332年(元弘2・正慶1)、後醍醐(ごだいご)天皇の倒幕運動に呼応し、わずか1000人の兵で数万から10万ともいう鎌倉幕府軍の包囲と戦った。1333年(元弘3・正慶2)に上赤阪城が落城し、千早城に移った楠木正成は、籠城戦のすえ、幕府軍を撤退させた。1934年(昭和9)に国の史跡に指定。近畿日本鉄道長野線富田林(とんだばやし)駅から金剛バス「森屋」下車、徒歩約40分。