コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

楢山佐渡 ならやま さど

2件 の用語解説(楢山佐渡の意味・用語解説を検索)

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

楢山佐渡 ならやま-さど

1831-1869 幕末の武士。
天保(てんぽう)2年5月生まれ。嘉永(かえい)6年陸奥(むつ)盛岡藩家老となり藩政改革をおこなう。慶応4年藩論を統一して奥羽越列藩同盟をむすび,出羽久保田藩(秋田県)を攻撃するが新政府軍に敗れ,明治2年6月22日刎首(ふんしゅ)刑となった。39歳。名は隆吉。通称は五左衛門。
【格言など】花は咲く柳はもゆる春の夜にうつらぬものは武士(もののふ)の道(辞世)

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

楢山佐渡

没年:明治2.6.22(1869.7.30)
生年:天保2.5(1831)
幕末の盛岡藩(岩手県)家老。名は五左衛門,のち隆吉と改名。隆冀の庶子として盛岡に生まれる。嘉永6(1853)年の三閉伊一揆直後に家老となり,家老南部土佐,若年寄石原汀,田鎖茂左衛門らを罷免して藩政改革を断行。慶応4(1868)年戊辰戦争の勃発により藩論が沸騰したが,指導権を掌握して藩論を統一し,奥羽越列藩同盟を結び,鹿角口より秋田に進攻。明治1(1868)年藩が官軍に降伏したので帰国,禁錮に処せられ,東京に護送されて芝の金地院,のち麻布邸にて幽囚の日を送る。明治2年盛岡報恩寺で刎首の刑に処せられた。<参考文献>『盛岡市史』(復刻)8巻

(細井計)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

楢山佐渡の関連キーワード盛岡大学新五左新五左衛門大久保甚五左衛門昆九郎左衛門属甚五左衛門津打五左衛門松脇五左衛門弥五左衛門力丸五左衛門

今日のキーワード

パラチオン、パラチオンメチル

パラチオンは無色で油状の液体、パラチオンメチルはコハク色の液体。ともに毒性が強く、有機リン系殺虫剤として使用された。50年代以降、稲の害虫被害を防ぐことが確認され、広く導入された。しかし、農民の中毒死...

続きを読む

コトバンク for iPhone