朝日日本歴史人物事典 「楢山佐渡」の解説
楢山佐渡
生年:天保2.5(1831)
幕末の盛岡藩(岩手県)家老。名は五左衛門,のち隆吉と改名。隆冀の庶子として盛岡に生まれる。嘉永6(1853)年の三閉伊一揆直後に家老となり,家老南部土佐,若年寄石原汀,田鎖茂左衛門らを罷免して藩政改革を断行。慶応4(1868)年戊辰戦争の勃発により藩論が沸騰したが,指導権を掌握して藩論を統一し,奥羽越列藩同盟を結び,鹿角口より秋田に進攻。明治1(1868)年藩が官軍に降伏したので帰国,禁錮に処せられ,東京に護送されて芝の金地院,のち麻布邸にて幽囚の日を送る。明治2年盛岡報恩寺で刎首の刑に処せられた。<参考文献>『盛岡市史』(復刻)8巻
(細井計)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報