榊原芳野(読み)さかきばら・よしの

朝日日本歴史人物事典 「榊原芳野」の解説

榊原芳野

没年:明治14.12.2(1881)
生年:天保3(1832)
江戸末期・明治前期の国学者。通称鬲蔵。号は琴洲,佳園,鬲斎など。江戸日本橋の町家に生まれる。父正之助は俳諧を,母みすは和歌を善くしたという。和学伊能穎則に,仏学を行阿に学び,長じて本所石原町に塾を開いた。明治維新後,大学中助教となり,明治4(1871)年,文部省編輯寮に転じ,その禄の大部分を書籍購入にあてたため,その蔵書は数千巻におよんだ。7年火災によって灰燼に帰したが,さらに蒐書に励んで七千余巻の蔵書に至った。時人には博学多識を以て聞こえた。『古事類苑』の編集に力を尽くした。没後蔵書は東京書籍館に寄贈され,現在国会図書館が所蔵する。

(飯倉洋一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「榊原芳野」の解説

榊原芳野 さかきばら-よしの

1832-1881 幕末-明治時代の国学者。
天保(てんぽう)3年生まれ。国学を伊能穎則(ひでのり),仏教学を深川稲荷(いなり)別当の行阿(ぎょうあ)にまなぶ。維新後,文部権大助教となり「古事類苑(るいえん)」の編修にあたる。博識で知られた。明治14年12月2日死去。50歳。江戸出身。通称は鬲蔵。号は琴洲,豊洲,佳園。著作に「太古史略」「文芸類纂」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の榊原芳野の言及

【古事類苑】より

…一つ一つの事項には編者の説明はないが,各部の初めに総説,各編の初めには解題が,編者によって付けられている。1879年,文部大書記官西村茂樹の建議により,文部省内に国学者の小中村清矩,榊原芳野と漢学者の那珂通世3名からなる古事類苑編纂掛を置き編纂開始。次いで完成を急がせるため,編纂年限を計9年半と定め,小杉榲邨,佐藤誠実,松岡明義ら8名の国学者,漢学者を参加させ,小中村に協力させた。…

※「榊原芳野」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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