日本歴史地名大系 「榎並城跡」の解説 榎並城跡えなみじようあと 大阪府:大阪市城東区野江村榎並城跡[現在地名]城東区野江四丁目中世榎並庄に築かれた城で、野江の水神(のえのすいじん)社(野江神社)付近にあったとみられるが遺構は確認できない。「花営三代記」応安二年(一三六九)三月二三日条に楠木正儀が天王寺から退却して榎並に陣したとみえ、古くから軍陣を布くのに適した場所だったようである。十七箇所(じゆうしちかしよ)城とも称したといわれ、同書同年四月二二日条に正儀が「河内十七箇所」に退いたとみえ、明応二年(一四九三)の河内御陣図(福智院家文書)に森口(もりぐち)(現守口市)南方、八箇所(はつかしよ)(現門真市など)西方に「十七ケ所」と書込まれているのは当城のこととする説もある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by