陰徳太平記(読み)いんとくたいへいき

日本歴史地名大系 「陰徳太平記」の解説

陰徳太平記
いんとくたいへいき

八一巻

別称 陰徳記 香川正矩・景継著

成立 元禄八年序・正徳年刊

版本 国立公文書館・国立国会図書館ほか

解説 足利義稙大内氏を頼った明応八年から、慶長三年豊臣秀吉死去による朝鮮撤退までの毛利氏による西日本制覇を中心に、中国四国・九州諸家の興亡織田信長・豊臣秀吉勢との攻防などを描いた軍記。著者香川氏は周防岩国藩主吉川家の家臣で、吉川氏の立場から描かれた最も詳細な毛利制覇戦記

活字本 「通俗日本全史」一三・一四


陰徳太平記
いんとくたいへいき

八一巻

別称 陰徳記 香川正矩・景継著

成立 元禄八年序・正徳二年刊

版本 国立公文書館・国立国会図書館ほか

解説 足利義稙が大内氏を頼った明応八年から慶長三年豊臣秀吉の死による朝鮮撤退までの毛利氏による西日本制覇を中心に、中国・四国・九州諸家の興亡や織田信長・豊臣秀吉勢との攻防などを描いた軍記。著者香川氏は周防岩国吉川家家臣で、吉川氏の立場から描かれた最も詳細な毛利制覇戦記。

活字本 「通俗日本全史」一三・一四


陰徳太平記
いんとくたいへいき

八一巻一一冊 香川正矩・景継著

成立 正徳二年

解説 岩国藩士香川正矩・景継(宣阿)父子のまとめた諸国軍記。足利一五代の事蹟、大内義興の活動より中国・四国・九州諸家の興亡、畿内治乱、信長・秀吉の事業を述べ、秀吉没後諸将盟約に終わる。

活字本 「通俗日本全史」(一三、一四)大正二年刊、昭和四〇年復刊

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

百科事典マイペディア 「陰徳太平記」の意味・わかりやすい解説

陰徳太平記【いんとくたいへいき】

戦国期・織豊期の西日本を舞台とする軍記。81巻。周防岩国吉川(きっかわ)家家臣の香川正矩(まさのり)の遺稿を次男景継(尭真)が集成し,1712年に刊行された。毛利氏の西日本制覇を軸に大内氏尼子(あまこ)氏大友氏など中国・四国・九州の諸氏の興亡や織豊政権による統一過程が描かれる。《通俗日本全史》所収。

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改訂新版 世界大百科事典 「陰徳太平記」の意味・わかりやすい解説

陰徳太平記 (いんとくたいへいき)

戦国・織豊期の西日本を舞台とする軍記。岩国吉川(きつかわ)家の老臣香川正矩の遺稿を次男景継(尭真,宣阿)が集成し,1712年(正徳2)に刊行。81巻。大内氏を頼った足利義稙に筆を起こし豊臣秀吉の死による朝鮮の役の終焉まで,毛利氏の中国制覇を軸に,大内,尼子,大友など中国,四国,九州の諸氏の興亡,織豊政権による統一を描く。陰徳とは争乱を生きぬいた毛利家の徳をたたえたもの。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「陰徳太平記」の意味・わかりやすい解説

陰徳太平記
いんとくたいへいき

戦記。 81巻。毛利一族の岩国吉川家の家臣香川正矩,堯真共編。寛文年間 (1661~73) に成立したものを正矩の次男宣阿が補訂して元禄年間 (88~1704) に完成。正徳2 (12) 年刊。『太平記』にならい戦国時代から江戸時代初期にかけて,中国地方を舞台とした毛利氏の活躍を描いた読み物。

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