日本歴史地名大系 「榎戸新田」の解説 榎戸新田えのきどしんでん 東京都:国分寺市榎戸新田[現在地名]国分寺市北町(きたまち)一―五丁目・並木町(なみきちよう)一―三丁目・新町(しんまち)一―三丁目・西町(にしまち)二―五丁目・富士本(ふじもと)一―三丁目・光町(ひかりちよう)一―二丁目・東戸倉(ひがしとくら)二丁目・戸倉(とくら)一丁目戸倉新田の北西にあり、北は小川(おがわ)新田・鈴木(すずき)新田(現小平市)。東・南は南野中(みなみのなか)新田(野中新田六左衛門組)。中央部を五日市街道が東西に通る。武蔵野新田の一。榎木戸(えのきど)新田とも記される(風土記稿)。野中新田から分れたといい、名主の榎戸角左衛門は享保一〇年(一七二五)大丹波(おおたば)村(現奥多摩町)から野中新田に出てきた(宝暦一一年「武蔵野新田出百姓之訳書上帳」榎戸家文書)。同一三年五日市街道沿いに野中新田が玉川上水からの分水を願出て翌一四年開通した(年不詳「反別帳之写」清水家文書など)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by