榎木加納庄(読み)えのきかのうのしよう

日本歴史地名大系 「榎木加納庄」の解説

榎木加納庄
えのきかのうのしよう

現榎木町・加納町付近に比定される。嘉慶元年(一三八七)一二月五日の足利義満寄進(臨川寺重書案文)によると、野洲やす比江ひえ(現中主町)の替地として「榎木庄加納」が臨川りんせん(現京都市右京区)に寄進され、翌年八月三〇日に幕府は近江守護六角満高に対し、当庄地頭職を臨川寺雑掌に沙汰付けることを命じている(「室町幕府御教書」同案文)。「御前落居記録」によると、当庄一円は仁平年間(一一五一―五四)以来の花山院門跡領であったが、佐々木山内源三の押領にあった半済分を前述のように嘉慶元年に臨川寺に寄進、同門跡雑掌の訴えにより、永享三年(一四三一)九月一二日に幕府が半済分の返付を命じ、臨川寺には替地が与えられることとなった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む