加地子(読み)カジシ

デジタル大辞泉 「加地子」の意味・読み・例文・類語

か‐じし〔‐ヂシ〕【加地子】

中世、名主みょうしゅ小作人から徴収した年貢名主が直接経営する田畑を縮小して下人げにんなどに貸す場合、作人が荘園領主に納める本来の年貢のほかに名主に納めた小作料をいう。片子かたこ
江戸時代小作米のこと。

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精選版 日本国語大辞典 「加地子」の意味・読み・例文・類語

か‐じし‥ヂシ【加地子】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 土地領有者によって貸し出された出挙(すいこ)に対して、その土地の耕作者が毎年支払う利子。また、その利子として支払うことを約束した借用物の元本。中世においては、はじめ領主が、ついで名主(みょうしゅ)がその収得者となり、中世後期には質入地などからの利息分としての収益をさす加地子が一般化し、地主に対して、小作人が支払う地代としての性格が強くなった。小作料の源流。片子(かたこ)
    1. [初出の実例]「僅免判之残坪々者、作人等不所勘者也、望請、蒙与判、徴納件加地子寺用」(出典:東寺百合文書‐モ・延久二年(1070)一〇月日・弘福寺三綱解)
  3. 近世、小作料の称。

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改訂新版 世界大百科事典 「加地子」の意味・わかりやすい解説

加地子 (かじし)

国衙領や荘園の田地を請作する作人が,国衙や荘園領主に弁済する本来の地子(所当)のほかに,請作地の地主的存在である私領主,名主(みようしゆ)などから課される加徴分。1066年(治暦2)3月11日の元興寺大僧都房政所下文案に,同政所が伊賀国名張郡簗瀬郷内の田代・荒野一所を開発させるため,これを丈部為延にあてがい,〈作手(さくて)〉(作人としての請作権)の子孫相伝を認めて,開発当初3ヵ年の免除期間を過ぎて以後は,〈官物においては国庫に弁済すべし。壱段別に一斗の御加地子においては領家に弁進すべき者也〉と下知したことが見えるのは一例(東大寺文書)。1158年(保元3)4月の伊賀国在庁官人等解に〈領主と云うは,官物の外に,庁宣をたまわり,段別にあるいは五升あるいは一斗の加地子を徴納するは当・他国の例也〉と見えるのも同様で(同文書),当時国衙領内にはこのような領主(私領主。加地子領主)が広く存在したのである。中世の荘園では,名主が自己の名田畠に課される年貢の負担者であると同時に,しばしば一部の田畠を作人にあて作らせ,彼から一定の中間得分を収取したが,これが加地子で,また加徳,片子(かたこ)などとも称した。銭納形態をとる場合加地子銭ともいう。加地子の額は年貢額を上まわる場合が少なくなかった。加地子収取権は売買,寄進などを通じて移動することがあり,ことに室町・戦国期の畿内地域などでは,田畠1~2反単位でさかんに売買され,これにともない寺社,土倉,国人などがそれを集積する事例が多くなった。加地子の納入は,作人が年貢と加地子の合計額を名主に納め,名主が加地子分を手もとに残して余りを荘園領主に差し出すやり方が本来であったが,作人が年貢,加地子を別個に直納する形をとる場合もあり,時代が下って名主の得分収取者的性格が強まるとともに後者が増加した。なお,江戸時代には小作料を加地子という場合がある。
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百科事典マイペディア 「加地子」の意味・わかりやすい解説

加地子【かじし】

平安時代以降,田地請作者(作人(さくにん))が負担した地代(じだい)。加得(かとく)ともいう。国衙(こくが)領・荘園において,領主に対して負担する本来の地子以外に,地主的存在である私領主,名主などに対しても支払わなければならない地代(加徴分)。畿内・近国では平安時代末期に1反当り1斗程度であったが,室町時代には5,6斗となり,本年貢より高くなっている。近世には小作料の意で用いらることもあった。
→関連項目均田制度所領

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「加地子」の意味・わかりやすい解説

加地子
かじし

日本中世の収取物の一つ。地代の一形態。平安時代以降、国衙(こくが)の正税(しょうぜい)・官物(かんもつ)・雑役や荘園領主の年貢・公事(くじ)とは別に、その土地に関して下級の権利をもつ者が農民からとった段当り1斗程度の定額の貢租が一般に加地子とよばれた。畿内(きない)などの先進地域では鎌倉時代末期以降、加地子収取関係は広く発達し、その額も段当り6斗程度が一般化した。そのため、強力な権力を背景にした戦国大名や豊臣(とよとみ)政権の検地政策によって加地子が年貢体系に強制的に吸収されるまで、在地社会では加地子をめぐる激しい対立が続いた。なお、中世後期の加地子取得権の歴史的系譜については、百姓名(ひゃくしょうみょう)の名主職(みょうしゅしき)が転化したとする説と、平安時代に成立した下級土地所有権である作手(さくて)から発達したものとする説がある。

[山田 渉]

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「加地子」の解説

加地子
かじし

(1)11世紀半ば以降に私領主が収取した段別1斗程度の得分。律令制下の公出挙(くすいこ)利稲分がのちに土地税(正税)へと変化し,それが私領主に対して免除されて加地子が出現した。この加地子は官物減免分そのもので,百姓の負担総量に変化はない。領主加地子は,荘園公領制の成立にともなって荘園年貢に組み込まれることが多かった。(2)13世紀以降に作手(さくて)・永作手所有者が作人から取得した得分。紀伊国などでは片子(かたこ)ともよばれた。小作形態から生じる場合のほか,百姓が負債解消のために自己の田畠を質入れし,毎年支払う返済料が加地子となることもあった。加地子額は土地売価の7分の1程度だったが,中世後期には本年貢を大きく上回るようになった。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「加地子」の意味・わかりやすい解説

加地子
かじし

加得ともいう。荘園領主に納入する年貢のほかに,名主が荘園農民から徴収した得分。鎌倉時代中期以降,荘園における名田経営のあり方がくずれ,名主は経営耕作から遊離し,その田畑を下人,所従ら直接耕作者に貸与し,得分を徴収するようになった。この得分は,領主の収取する年貢とは別という意味で加地子といわれた。

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旺文社日本史事典 三訂版 「加地子」の解説

加地子
かじし

名田 (みようでん) の耕作に従う作人・百姓が,領家に対する年貢のほかに名主に対して納めた作料
中世,名主が農業経営から遊離し,その所有地を一般農民に耕作させるようになると,荘園領主への年貢を直接上納させ,自分には一定の得分を納めさせた。この得分を加地子といい,このような名主を加地子名主といった。

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世界大百科事典(旧版)内の加地子の言及

【内得】より

…〈内之得分〉の略称。室町・戦国期の近江,越前,美濃など畿内周辺諸国の田畠売券や寄進状などにしばしば現れる用語で,〈名(みよう)之内得〉〈名内得分〉などと表現され,多くの場合名主(みようしゆ)の私的得分である加地子(かじし)分を指し,売買などで移動した。越前西福寺文書の1515年(永正12)2月9日付春庾田地売券は,平内名(みよう)所属の田地2反を売却したものであるが,それには名の内得分を売るのであるから,本役などは自分(名主)の方で負担するので,この田地には万雑公事(まんぞうくじ)は一切かからない旨記されている。…

【片子】より

加地子(かじし)の別称。1295年(永仁3)12月16日,経実なるものが紀伊国那賀郡名手荘内の田地1反を売却した際の売券に,買得者尭信房に対して毎年6斗の〈加地子〉を懈怠(けたい)なく運上することを述べたうえ,〈もし片子といい下地といい違い目あるときは本直(ほんじき)(売却値段)を弁ずべし〉と記す(高野山文書)。…

【加徴米】より

…このような加徴米は鎌倉時代の地頭にもうけつがれ,大田荘地頭三善氏ははじめ反別5升,1192年(建久3)以降は反別3升の加徴米を徴収した。肥前国佐嘉御領の小地頭が給田のほかに取得した定得田町別5斗の加地子(かじし)や,肥後国人吉荘地頭相良氏の起請田反別3升の加地子米などは加徴米と同様のものであった。神護寺領播磨国福井荘でも地頭加徴があって,内検によって検出された得田数に応じて賦課されていた。…

※「加地子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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