20世紀日本人名事典 「横川楳子」の解説 横川 楳子ヨコガワ ウメコ 明治期の教育者 生年嘉永6年1月(1853年) 没年大正15(1926)年1月3日 出生地武蔵国八王子(東京都八王子市) 経歴明治11年より東京女子師範学校付属幼稚園の保母見習として保育法を学ぶ。のち同園の保母を務めるが、17年父の死によって家督を相続したのを機に女子教育をはじめ、21年には八王子に八王子女学校を開設した。同校は間もなく廃校するが、のち上野原にある本立寺の住職及川親能の助力を得て、25年同寺の境内に八王子女学校・八王子幼稚園を再建。以後、15年に渡って学校経営に力を注ぐが、40年には校舎及び学校施設を東京府に寄附。これが基となって府立第四高等女学校(都立南多摩高校)が設立された。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「横川楳子」の解説 横川楳子 よこがわ-うめこ 1853-1926 明治時代の教育者。嘉永(かえい)6年1月生まれ。幼稚園教師をへて,明治25年郷里八王子町上野町の本立寺境内に八王子女学校と八王子幼稚園をつくる。40年東京府が八王子町明神町に府立第四高女(現南多摩高)を設立した際,女学校校舎などを寄付し,生徒を第四高女にうつした。大正15年1月3日死去。74歳。武蔵(むさし)八王子(東京都)出身。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例