デジタル大辞泉 「横沢三郎」の意味・読み・例文・類語 よこざわ‐さぶろう〔よこざはサブラウ〕【横沢三郎】 [1904~1995]野球選手・プロ野球審判。台湾の生まれ。東京六大学野球の専属審判員を務めるかたわら、内野手として都市対抗野球で活躍。昭和11年(1936)東京セネタースの初代監督。日本野球連盟(日本職業野球連盟から改称)の審判員、パリーグ審判部長を歴任。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例 Sponserd by
20世紀日本人名事典 「横沢三郎」の解説 横沢 三郎ヨコザワ サブロウ 昭和期のプロ野球監督・審判員 生年明治37(1904)年12月17日 没年平成7(1995)年11月28日 出身地台湾 学歴〔年〕明治大学卒 経歴旧制荏原中時代は遊撃手、明大では好守の名二塁手としてならし、昭和4年東京倶楽部入り、都市対抗大会で4度の優勝を経験する。その間、東京六大学リーグの専属審判も務め、“名審判”とうたわれる。プロ野球がスタートした昭和11年からプロ野球界にあり、戦前のセネタース監督時代には兄弟4人が同一チームに在籍したことも。21年セネタース(現・日本ハム)を創立、初代監督に。23年より日本野球連盟審判に復帰し、26年から9年間パリーグの審判部長を務め、35年引退。その後は解説者も務めた。63年2月野球殿堂入り。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「横沢三郎」の解説 横沢三郎 よこざわ-さぶろう 1904-1995 昭和時代の野球選手,プロ野球審判。明治37年12月17日台湾生まれ。明大で二塁手として活躍。東京六大学野球で審判をつとめる。昭和4年東京クラブにはいり,都市対抗で4度優勝。21年セネタース初代監督。23年から日本野球連盟審判となり,パリーグ審判部長をつとめた。63年野球殿堂入り。平成7年11月28日死去。90歳。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
367日誕生日大事典 「横沢三郎」の解説 横沢 三郎 (よこざわ さぶろう) 生年月日:1904年12月17日昭和時代;平成時代のプロ野球監督・審判員1995年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報 Sponserd by