横河郷
よこかわごう
中世の船木田庄内の郷村。南を長房丘陵、北を城山川に限られた一帯で、現横川町から元八王子町にかけての地域。建長八年(一二五六)七月三日の将軍家政所下文(尊経閣文庫所蔵「武家手鑑」上)によれば、天野景経は「船木田新庄由井内横河郷」などの所領を安堵されており、鎌倉御家人景経の所領であった。永仁二年(一二九四)「舟木田新庄由比内横河村」は景経の子顕政に譲られており(同年九月二九日「関東下知状」尊経閣文庫所蔵文書)、当郷は代々天野氏に伝領されていった。鎌倉期の横河郷には慈根寺があり、高幡山金剛寺中興の儀海は嘉元四年(一三〇六)から翌年にかけて「武州由比横河慈根寺」で「大日経疏指心抄」を書写している(名古屋市真福寺所蔵典籍)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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