今治平野の中央部、
慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)の
新居浜平野の東部、
慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)の新居郡の項に「高六百五石六斗九升八合 郷村 日損所、雑木林有」とある。西条藩領。寛文五年(一六六五)の郷村庄屋文書(「西条誌」所収)によれば、村高六七四石五斗余、家数七五であったが、天保一三年(一八四二)には、田畑高八四九石六斗余、家数二六五、人数一千二二六と激増している。
当村の用水は、地形の関係から供給が困難であった。おもな用水源である
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
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