横田川渡(読み)よこたがわのわたし

日本歴史地名大系 「横田川渡」の解説

横田川渡
よこたがわのわたし

近世いずみ村の南西にあり、三雲みくも(現甲西町)との間を流れる野洲やす(横田川)に設けられた東海道の渡し。寛正二年(一四六一)五月二四日の室町幕府奉行人奉書(山中文書)に「酒人郷横田河橋」とあり、京都西芳さいほう(現京都市右京区)により橋賃が徴されていた。近世にも通年架橋は許されず、東海道十三渡の一といわれた(駿国雑志)。明和元年(一七六四)の横田川渡船助郷免除願書(泉区有文書)によれば、寛永年間(一六二四―四四)には渡船はなく徒渉していたが、泉村の芝草山が横田川を渡った対岸にあったため、山仕事用の小船をあつらえ山船と称した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

2022年度から実施されている高校の現行学習指導要領で必修となった科目。実社会や実生活で必要となる国語力の育成を狙いとし、「話す・聞く」「書く」「読む」の3領域で思考力や表現力を育てる。教科書作りの...

現代の国語の用語解説を読む