中村一氏(読み)なかむらかずうじ

改訂新版 世界大百科事典 「中村一氏」の意味・わかりやすい解説

中村一氏 (なかむらかずうじ)
生没年:?-1600(慶長5)

安土桃山時代武将通称は孫平次,式部少輔。一政の子。豊臣秀吉に仕え,1583年(天正11)以降和泉岸和田城主として紀州根来雑賀一揆と戦う。85年近江水口城主となり豊臣秀次に属する。90年徳川家康関東移封後の駿河国14万2000石を与えられ府中城主。1600年(慶長5)6月重病により,家康の会津征伐には弟一栄を名代として従軍させ,翌月病死。関ヶ原戦後,子息忠一は伯耆米子17万5000石に加転される。
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関連語 加藤

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中村一氏」の解説

中村一氏 なかむら-かずうじ

?-1600 織豊時代の武将。
豊臣秀吉に属し,和泉(いずみ)(大阪府)岸和田城主,近江(おうみ)(滋賀県)水口(みなくち)城主ののち,天正(てんしょう)18年に小田原攻め戦功により駿河(するが)(静岡県)府中城主となる。慶長5年7月17日死去。尾張(おわり)(愛知県)出身。初名は孫平次。

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世界大百科事典(旧版)内の中村一氏の言及

【駿河国】より

…なお富士信仰とのかかわりで,駿河国一宮富士山本宮浅間(せんげん)神社など,浅間信仰も注目される。【本多 隆成】
【近世】

[豊臣支配下の駿河国]
 徳川家康の関東移封によって駿河国は豊臣秀吉麾下の中村一氏に与えられ,一氏は駿府に入り14万5000石を領した。一氏の領国経営には富士川渡舟,新宿の取りたてなどの交通の整備があった。…

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