朝日日本歴史人物事典 「横田準松」の解説
横田準松
生年:享保19(1734)
江戸中期の側衆御用取次。和泉守,筑後守。父栄松,母は大淵玄通の娘。本家の清松の養子となる。本丸小納戸,西丸小納戸,同小姓から本丸に復し,小姓組番頭格,御用取次見習に進み,安永2(1773)年側衆御用取次に昇進する。将軍側近として田沼意次の政治を支えた。天明7(1787)年5月に加封され9500石となったが,同月下旬に江戸打ちこわしが起きたとき,将軍徳川家斉が様子を問うたのに,江戸の町々は平穏無事だと偽り答えたことを咎められ罷免された。田沼失脚(1786)後,幕政の空白状態が続いたが,横田罷免で妨害されていた松平定信の老中就任が決まり,政局は一気に動いた。
(山田忠雄)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報