横須賀御殿跡(読み)よこすかごてんあと

日本歴史地名大系 「横須賀御殿跡」の解説

横須賀御殿跡
よこすかごてんあと

[現在地名]東海市高横須賀町

寛文六年(一六六六)徳川光友が横須賀村の枝郷馬走瀬まはせの地に潮湯治(海水浴)のため建てた別荘。給主滝川半斎は、隣接する木田きだ村に給知替になった。南に船を横付できる方一〇〇間に及ぶ臨江りんこう亭とよぶ御殿と約八〇〇メートル余にわたって北に展開する庭園の優美さは、蓬左文庫蔵の地図や「金城温古録」「雑志」所載の地図で知られる。御亭おちん桝形ますがた烏帽子えぼし踊場おどりばくり葭山よしやま呉天石ごてんいしなどの地名や、庭園の北にある池は、御洲浜おすはまとして現存

御殿建設について「金城温古録」は「一説に其始瑞竜院(光友)様御潮湯治之所と奉申は表向の御名目にて、御内実は敬公(初代義直)御代異賊襲来遠見台をも御取建なし置れしかば、猶其御あとを統べ補はせらるゝ思召にや。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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