日本歴史地名大系 「東海市」の解説 東海市とうかいし 面積:四一・五〇平方キロ知多郡の北部、伊勢湾沿いに位置し、北は名古屋市、東は大府市、東南は知多郡東浦(ひがしうら)町、南は知多市に接する縦長の市域。海岸線に沿って展開する沖積平野の背後には、丘陵地帯が南北に連なる。〔原始・古代〕東海市の中央やや南寄りの台地である大田(おおた)町高(たか)ノ御前(ごぜん)に縄文晩期の遺跡があり、土器のほか、石斧・石鏃などを出土。加木屋(かぎや)町の向山(むかいやま)遺跡を併せると、台地上に狩猟民の存在が考えられる。市の南、高横須賀(たかよこすか)町の湿地帯柳(やな)ヶ坪(つぼ)からは高坏・石斧・石鏃が出土。とくに壺形土器は、伊勢湾・三河湾の海浜地帯で多くみられる口辺部の内外面に櫛目の羽状文をもつ土器の指標。市の北、名和(なわ)町八幡社境内からも弥生土器が出る。いずれも弥生中―後期。名和町の円墳兜山(かぶとやま)古墳は古墳前期にあたり、三角縁神獣鏡などを出土し、付近に住居跡が発見された。古墳後期には名和古墳群、大田町の王塚(おうづか)古墳、高横須賀町の岩屋口(いわやぐち)古墳がある。岩屋口古墳は全長七メートル、巨石を用いた横穴式石室をもつ円墳である。律令時代、番賀(はが)郷に比定されるこの地では、海浜地帯で製塩を行い、平城京などの都に塩を調として納めた。大田町松崎(まつざき)貝塚から製塩土器・炉跡が発見され、名和町の長光寺(ちようこうじ)遺跡にも製塩の跡がある。平安末期には、富木島(ふきしま)町富田(とみだ)から融通念仏宗を開いた聖応大師良忍が生れた。良忍の父は、知多郡一円を支配した豪族藤原道武である。〔中世〕行基焼・藤四郎焼の名で知られる焼物を生産した古窯が知多郡には多いが、当市域では、荒尾(あらお)町の奥山(おくやま)、富木島町の姫島(ひめしま)、加木屋町の社山(やしろやま)・雉子野(きじの)・泡池(あわいけ)、養父(やぶ)町・加木屋町から知多市に及ぶ鎌(かま)ヶ谷(たに)が古窯跡として知られる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「東海市」の意味・わかりやすい解説 東海〔市〕とうかい 愛知県南西部,知多半島の頸部,伊勢湾に面する市。 1969年上野,横須賀の2町が合体し,市制。古くは木綿,ミカンの産地。ノリ養殖が行われ,愛知用水の完成と名古屋に隣接する位置から近郊農業が盛んであった。 1960年以来埋立てが進められ,東海製鉄はじめ大工場が進出して工業化と人工増加が著しい。中京工業地帯,名古屋港南部工業地域に属する。江戸中期の儒学者細井平洲の出生地として知られ,郷土芸能に格式高い御殿万才がある。名古屋鉄道常滑線,河和線と名古屋臨海鉄道,国道 247号線などが通る。面積 43.43km2。人口 11万3787(2020)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by