樹敬寺(読み)じゆきようじ

日本歴史地名大系 「樹敬寺」の解説

樹敬寺
じゆきようじ

[現在地名]松阪市新町

法幢山宝延院と号し、浄土宗本尊は阿弥陀三尊坐像。近世は京都知恩院末。「権輿雑集」に引く寺伝に次のようにみえる。建久六年(一一九五)に東大寺俊乗房重源が細頸ほそくび(現松ヶ島町)に遊行し伽藍を開創、不断念仏院と号した。ところが正長年中(一四二八―二九)兵火によって焼失、そのまま百有余年捨て置かれた。享禄元年(一五二八)この地に伽藍を再建したのが三河大樹だいじゆ(現岡崎市)の松颯であり、彼は再建の徳を慕われ樹敬和尚とよばれ、寺号もまた樹敬寺と唱えられた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「樹敬寺」の解説

じゅきょうじ【樹敬寺】


⇒本居宣長墓〈樹敬寺〉(もとおりのりながのはか)

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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