朝日日本歴史人物事典 「樽屋与左衛門」の解説
樽屋与左衛門
生年:延享3(1746)
江戸後期の江戸町年寄。播磨の郷士の家に生まれ,岩崎善右衛門と称したが,江戸町年寄樽屋の当主吉五郎が幼少のため,天明5(1785)年その後見として町年寄となった。樽屋には以前にも与左衛門と称する後見の町年寄2人が存在した。寛政改革にさいし老中松平定信に認められ,札差仕法改正を具申した。このため改正役所である猿屋町会所勤務中の帯刀を許され,さらに樽の姓を用いることが許可された。文化3(1806)年の幕府御用金調達や,杉本茂十郎との株仲間政策推進にも手腕を発揮したが,文化11(1814)年に貸付金引負いを生じ,不慮の死をとげた。病死といわれたが,自殺説(『豊芥子日記』)もある。
(吉原健一郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報