樽屋与左衛門(読み)たるや・よざえもん

朝日日本歴史人物事典 「樽屋与左衛門」の解説

樽屋与左衛門

没年:文化11.12.29(1815.2.7)
生年:延享3(1746)
江戸後期江戸町年寄播磨の郷士の家に生まれ,岩崎善右衛門と称したが,江戸町年寄樽屋当主吉五郎が幼少のため,天明5(1785)年その後見として町年寄となった。樽屋には以前にも与左衛門と称する後見の町年寄2人が存在した。寛政改革にさいし老中松平定信に認められ,札差仕法改正を具申した。このため改正役所である猿屋町会所勤務中の帯刀を許され,さらに樽の姓を用いることが許可された。文化3(1806)年の幕府御用金調達や,杉本茂十郎との株仲間政策推進にも手腕を発揮したが,文化11(1814)年に貸付金引負いを生じ,不慮の死をとげた。病死といわれたが,自殺説(『豊芥子日記』)もある。

(吉原健一郎)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「樽屋与左衛門」の解説

樽屋与左衛門 たるや-よざえもん

1746-1815* 江戸時代中期-後期の江戸町年寄。
延享3年生まれ。樽屋の当主が幼少のため,天明5年後見役となる(樽屋12代)。寛政改革で札差(ふださし)仕法の改正に功があり,寛政2年名字帯刀をゆるされて樽氏を名のる。また杉本茂十郎(もじゅうろう)とともに株仲間政策を推進した。文化11年12月29日死去。69歳。播磨(はりま)(兵庫県)出身。本姓は岩崎。初名は善右衛門。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の樽屋与左衛門の言及

【猿屋町会所】より

…後者は同年冬より年6~9%,20年賦で貸し付けられ,その利子は会所入費とされたほか,さきの1万両の返済金と合わせて次の札差貸付金の元本とされた。会所は町年寄樽屋与左衛門が管轄し,勘定所御用達が融資の実務に当たった。金融を通じての札差業の管理事務所といった性格が強かった。…

【樽屋藤左衛門】より

…江戸町年寄の世襲名。初代は水野姓で,のち樽と改め,1581年(天正9)以来徳川家康のもとで遠江の町々の支配を担当したという。90年に家康とともに江戸に入り,町支配を行った。奈良屋,喜多村とともに江戸の三町年寄として世襲し,日本橋本町2丁目に160坪の居宅を拝領した。町年寄役のほかに神田・玉川両水道の支配を兼ねたこともあり,また京都の福井作左衛門の西国枡支配にたいし,東国33ヵ国の枡改(枡座)は樽の特権であった。…

※「樽屋与左衛門」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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