橋羽村(読み)はしわむら

日本歴史地名大系 「橋羽村」の解説

橋羽村
はしわむら

[現在地名]浜松市天竜川町てんりゆうがわちよう

永田ながた村の東に位置。橋和などとも記された。東西東海道が通る。中世かば御厨のうち端和村として推移した。「随庵見聞録」には当村の多母木清右衛門が天正一八年(一五九〇)の豊臣秀吉禁制を所持しているとあり、多母木氏は一五世紀から近世初期にかけて当地の有力な家だったとみられる。松平忠頼領郷村帳に「はしわ村」とみえ高一六九石余、田四町八反余・畑一六町三反余、ほか院花寺領二四石。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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