次村(読み)つぎたるむら

日本歴史地名大系 「次村」の解説


つぎたるむら

[現在地名]湯原町都喜足つぎたる

旭川左岸釘貫小川くぎぬきこがわ村の南に位置する。南は山久世やまくせ(現勝山町)対岸仲間なかま村。都喜つぎたるの集落があり、現大字名は都喜足であるが、江戸時代は次樽村と表記した。慶長一七年(一六一二)の森忠政宛行状(黄薇古簡集)で、次樽村のうち三六石余などが松山八郎右衛門に与えられた。正保郷帳によれば田高六石・畑高四九石余、元禄一〇年(一六九七)美作国郡村高辻帳によれば改出高三五石余・開高一石余、元禄初頭の家数一三・人数七五(作陽誌)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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