日本歴史地名大系 「歌津村」の解説 歌津村うたつむら 宮城県:本吉郡歌津町歌津村[現在地名]歌津町 払川(はらいかわ)・上沢(かみさわ)・樋の口(ひのくち)・中在(なかざい)・石泉(いしいずみ)・韮の浜(にらのはま)・寄木(よりき)・伊里前(いさとまえ)・館浜(たてはま)・泊浜(とまりはま)・馬場(ばば)・中山(なかやま)・名足(なたり)・石浜(いしはま)・田の浦(たのうら)・港(みなと)・田表(たおもて)・白山(しらやま)・吉野沢(よしのさわ)・宮方(みやかた)・川内(かわうち)・皿貝(さらがい)・砂浜(すなはま)・平松(ひらまつ)・大森(おおもり)・森畑(もりはた)・町向(まちむかい)・峯畑(みねはた)・管の浜(くだのはま)・枡沢(ますざわ)・板橋(いたばし)・小沼(こぬま)・大沼(おおぬま)・田の頭(たのがしら)・番所(ばんどころ)・尾崎(おさき)・大磯(おおいそ)・長柴(ながしば)・小長柴(こながしば)・北の沢(きたのさわ)・松の崎(まつのさき)・平棚(ひらたな)・神山(かみやま)・田茂川(たもがわ)・南の沢(みなみのさわ)・上の山(かみのやま)・牧田(まきた)・長沢(ながさわ)・長羽(ながは)・中野(なかの)・浪板(なみいた)・草木沢(くさきざわ)東は長く複雑な海岸線で太平洋に面し、北は小泉(こいずみ)村(現本吉町)、西は田束(たつがね)山で馬籠(まごめ)村(現本吉町)、神行堂(しんぎようどう)山・貞任(さだとう)山などで入谷(いりや)村(現志津川町)、南は清水浜(しずはま)(現志津川町)に接する。気仙(けせん)道が南北に縦断する。村名の由来は、藤原秀衡の頃田束山に堂社が建立され、その卯辰の方向にあたるため村名とし、いつの頃からか歌津の文字に変えたという(本吉郡誌)。アイヌ語で砂地を意味するオタエツからとする説もある。慶長一六年(一六一一)一一月二六日セバスチャン・ビスカイノの一行は、折立(おりたて)(現志津川町)から海路および陸路により歌津に入り、翌日気仙沼(けせんぬま)に至っている(金銀島探検報告)。寛永三年(一六二六)の大町駿河宛の石母田大膳等の書状(石母田家文書)によれば、山岡志摩の知行地が不足の場合、歌津村のうちから割渡すよう指示している。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by