ビスカイノ(その他表記)Sebastián Vizcaíno

デジタル大辞泉 「ビスカイノ」の意味・読み・例文・類語

ビスカイノ(Sebastián Vizcaíno)

[1551~1615]スペインの対日特派使節。日本近海の金銀島調査と、フィリピン総督の遭難救助に対する謝礼の使として来日徳川家康秀忠に謁見し、支倉常長の船で帰航

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「ビスカイノ」の意味・読み・例文・類語

ビスカイノ

  1. ( Sebastián Vizcaíno セバスチャン━ ) 江戸初期来日したスペインの対日特派使節。メキシコ総督より日本近海の金銀島探検と、日本に漂着したドン=ロドリゴビベロ)が江戸幕府援助でメキシコに送還されたことへの答礼の任務を受けて日本に渡航、徳川家康・秀忠に謁見。帰途、乗船が破損し、支倉常長の船に便乗してノビスパン(メキシコ)に帰国。一六一五年没。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「ビスカイノ」の意味・わかりやすい解説

ビスカイノ
Sebastián Vizcaíno
生没年:1548-1628

スペイン人の商人,探検家。1580年スペインのポルトガル侵入のさい従軍し,83年メキシコに渡った。のちフィリピンに向かい,86年から89年まで滞在して商人として成功した。89年メキシコに戻り,カリフォルニア半島の開発に情熱を燃やし,96-97年同地域の調査のため,太平洋沿岸を北緯29°まで探検した。1602年5月~03年3月,総司令官として3隻の船を率い,カリフォルニア太平洋沿岸の測量,地図作成を行って成功し,北緯43°まで達した。このときに命名された地名で今日なお使用されているものもある。11年(慶長16)3月,前フィリピン臨時総督ロドリゴ・ビベロ・イ・ベラスコ救出の謝礼のため,メキシコ副王の大使として来日。同年6月浦賀に到着し,徳川秀忠,家康に謁見して任務を果たした後,日本の太平洋沿岸の測量,地図作成を行った。12年10月帰路につき,日本近海で金銀島探検を行ったが失敗し,日本に戻った。翌13年伊達政宗の派遣した船でメキシコに戻り,一時アカプルコ市長を務め,メキシコで没した。著書に《ビスカイノ金銀島探検報告》(《異国叢書》所収)がある。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ビスカイノ」の意味・わかりやすい解説

ビスカイノ
びすかいの
Sebastian Viscaino
(1551―1615)

イスパニアの対日使節。若くしてポルトガル鎮定戦争に参加し、のち1583年メキシコに渡る。1595~1603年の間、たびたびアメリカ西海岸各地の探検航海を行い、1608年、当時航海者に信じられていた日本近海の金銀島の探査の命を受け、同時に、先年難破したビベロ一行の救助・送還の答礼使を兼ねて、1611年(慶長16)浦賀に着き、江戸、駿府(すんぷ)で徳川秀忠(ひでただ)・家康に謁した。翌年9月より金銀島を探索したが成功せず、暴風雨で船を破損し、帰国のため幕府の援助を求め、1613年10月、伊達政宗(だてまさむね)が家臣支倉常長(はせくらつねなが)を派遣した船に便乗して帰航。のちアカプルコで没した。『ビスカイノ金銀島探検報告』(『異国叢書(そうしょ) 8』所収)がある。

[沼田 哲]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典 「ビスカイノ」の解説

ビスカイノ

没年:1615(1615)
生年:生年不詳
スペイン人探検航海家。ウエルバ出身。若くして新イスパニヤ(メキシコ)に渡り,1586~89年フィリピンに滞留した。次いで新イスパニヤ副王の命により数度にわたり太平洋沿岸を探検航海した。1604年フィリピン航路の司令長官に任ぜられた。慶長16(1611)年,徳川家康の援助を受けてメキシコに帰着した前フィリピン臨時総督ビベロ・イ・ベラスコの答礼使節として来日し,家康および秀忠に謁した。翌年まで滞在して日本沿岸を測量,帰国途上存在が伝えられた「金銀島」(伝説の島)探検を試みたが失敗,乗船が破損し,浦賀に引き返した。同18年伊達政宗の遣欧使節の船に便乗しメキシコに帰り,アカプルコで没した。<著作>村上直次郎訳註『ビスカイノ金銀島探検報告』

(野間一正)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ビスカイノ」の意味・わかりやすい解説

ビスカイノ
Vizcaino, Sebastián

[生]1551頃.ウェルバ
[没]1615. アカプルコ
ノビスパン (メキシコ) の遣日特派使節。ポルトガル鎮定戦争に従事してのちメキシコに渡航。フィリピンにも 1586~89年在勤。アメリカ西海岸の探検航海にも従事した。上総 (千葉県) 海岸で遭難した前フィリピン長官送還 (→ビベロ・イ・ベラスコ ) の謝意を江戸幕府に表する使節に任じられ,慶長 16 (1611) 年浦賀に来航。徳川家康と秀忠のメキシコ総督あての書簡や土産品をたずさえて,同 18年伊達政宗の船でアカプルコに帰った。 (→田中勝助 )

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

山川 日本史小辞典 改訂新版 「ビスカイノ」の解説

ビスカイノ
Sebastián Vizcaíno

1551?~1615

スペイン人探検家。1609年(慶長14)メキシコへの帰国途上,上総沿岸に漂着した前フィリピン臨時総督ビベロ救助の答礼使節として,11年来日。奥州沿岸を調査し,地図を作成したり,金銀島探検などを試みたりしたため,行動を警戒されたこともあった。13年伊達政宗が派遣した慶長遣欧使節の船に便乗し,メキシコに帰国。著書「金銀島探検報告」。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「ビスカイノ」の解説

ビスカイノ Vizcaino, Sebastian

?-1615 スペインの探検航海家。
金銀島の探査と,先年遭難したビベロらの救助の答礼使をかねてメキシコから慶長16年(1611)浦賀に来航。徳川秀忠・家康にあった。金銀島探査は成功せず暴風で船を流され,18年伊達政宗が支倉常長(はせくら-つねなが)を派遣した船でメキシコにかえった。著作に「ビスカイノ金銀島探検報告」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android