スペイン人の商人,探検家。1580年スペインのポルトガル侵入のさい従軍し,83年メキシコに渡った。のちフィリピンに向かい,86年から89年まで滞在して商人として成功した。89年メキシコに戻り,カリフォルニア半島の開発に情熱を燃やし,96-97年同地域の調査のため,太平洋沿岸を北緯29°まで探検した。1602年5月~03年3月,総司令官として3隻の船を率い,カリフォルニア太平洋沿岸の測量,地図作成を行って成功し,北緯43°まで達した。このときに命名された地名で今日なお使用されているものもある。11年(慶長16)3月,前フィリピン臨時総督ロドリゴ・ビベロ・イ・ベラスコ救出の謝礼のため,メキシコ副王の大使として来日。同年6月浦賀に到着し,徳川秀忠,家康に謁見して任務を果たした後,日本の太平洋沿岸の測量,地図作成を行った。12年10月帰路につき,日本近海で金銀島探検を行ったが失敗し,日本に戻った。翌13年伊達政宗の派遣した船でメキシコに戻り,一時アカプルコ市長を務め,メキシコで没した。著書に《ビスカイノ金銀島探検報告》(《異国叢書》所収)がある。
執筆者:岸野 久
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イスパニアの対日使節。若くしてポルトガル鎮定戦争に参加し、のち1583年メキシコに渡る。1595~1603年の間、たびたびアメリカ西海岸各地の探検航海を行い、1608年、当時航海者に信じられていた日本近海の金銀島の探査の命を受け、同時に、先年難破したビベロ一行の救助・送還の答礼使を兼ねて、1611年(慶長16)浦賀に着き、江戸、駿府(すんぷ)で徳川秀忠(ひでただ)・家康に謁した。翌年9月より金銀島を探索したが成功せず、暴風雨で船を破損し、帰国のため幕府の援助を求め、1613年10月、伊達政宗(だてまさむね)が家臣支倉常長(はせくらつねなが)を派遣した船に便乗して帰航。のちアカプルコで没した。『ビスカイノ金銀島探検報告』(『異国叢書(そうしょ) 8』所収)がある。
[沼田 哲]
(野間一正)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
1551?~1615
スペイン人探検家。1609年(慶長14)メキシコへの帰国途上,上総沿岸に漂着した前フィリピン臨時総督ビベロ救助の答礼使節として,11年来日。奥州沿岸を調査し,地図を作成したり,金銀島探検などを試みたりしたため,行動を警戒されたこともあった。13年伊達政宗が派遣した慶長遣欧使節の船に便乗し,メキシコに帰国。著書「金銀島探検報告」。
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