ビスカイノ(読み)びすかいの(英語表記)Sebastian Viscaino

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ビスカイノ」の意味・わかりやすい解説

ビスカイノ
びすかいの
Sebastian Viscaino
(1551―1615)

イスパニアの対日使節。若くしてポルトガル鎮定戦争に参加し、のち1583年メキシコに渡る。1595~1603年の間、たびたびアメリカ西海岸各地の探検航海を行い、1608年、当時航海者に信じられていた日本近海の金銀島の探査の命を受け、同時に、先年難破したビベロ一行の救助送還の答礼使を兼ねて、1611年(慶長16)浦賀に着き、江戸、駿府(すんぷ)で徳川秀忠(ひでただ)・家康に謁した。翌年9月より金銀島を探索したが成功せず、暴風雨で船を破損し、帰国のため幕府の援助を求め、1613年10月、伊達政宗(だてまさむね)が家臣支倉常長(はせくらつねなが)を派遣した船に便乗して帰航。のちアカプルコで没した。『ビスカイノ金銀島探検報告』(『異国叢書(そうしょ) 8』所収)がある。

沼田 哲]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ビスカイノ」の意味・わかりやすい解説

ビスカイノ
Vizcaino, Sebastián

[生]1551頃.ウェルバ
[没]1615. アカプルコ
ノビスパン (メキシコ) の遣日特派使節。ポルトガル鎮定戦争に従事してのちメキシコに渡航。フィリピンにも 1586~89年在勤。アメリカ西海岸の探検航海にも従事した。上総 (千葉県) 海岸で遭難した前フィリピン長官送還 (→ビベロ・イ・ベラスコ ) の謝意江戸幕府に表する使節に任じられ,慶長 16 (1611) 年浦賀に来航徳川家康秀忠のメキシコ総督あての書簡や土産品をたずさえて,同 18年伊達政宗の船でアカプルコに帰った。 (→田中勝助 )

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