歓喜光院跡(読み)かんきこういんあと

日本歴史地名大系 「歓喜光院跡」の解説

歓喜光院跡
かんきこういんあと

京都市左京区の平安神宮境内の北西地域および、それより西の元京都市立芸術大学音楽学部の北部敷地にあった寺。尊勝そんしよう寺跡の北にあたり院地は東西二町と推定される。初め天台宗、のち臨済宗の京都南禅寺に属した。鳥羽上皇の皇后美福門院藤原得子の御願寺として永治元年(一一四一)二月二一日に創建され(百錬抄・元亨釈書)諸国に所領地二六を有した(後宇多院領目録)。院政期の代表的寺院の一つである。永暦元年(一一六〇)美福門院の死後その娘八条院子が伝領し、歓喜光院別当として鳥羽上皇第七皇子覚快法親王が入寺した(青蓮院門跡略伝)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

機械メーカー。トヨタグループの総本家で,繊維機械のほかトヨタ自動車からの小型商用車の受託生産,エンジンその他の自動車部品,フォークリフトなどの産業用車両の生産も行なう。1926年豊田佐吉が,みずから発...

豊田自動織機の用語解説を読む