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美福門院 びふくもんいん

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

美福門院
びふくもんいん

[生]永久5(1117).京都
[没]永暦1(1160).11.23. 京都
鳥羽天皇の皇后藤原得子。贈太政大臣長実の娘。母は左大臣源俊房の娘方子。保延5 (1139) 年皇子体仁 (なりひと。のちの近衛天皇) を生み,次いで崇徳天皇皇太子とし,鳥羽法皇を説いて崇徳天皇の退位を強制して近衛天皇を即位させた。

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デジタル大辞泉の解説

びふく‐もんいん〔‐モンヰン〕【美福門院】

[1117~1160]鳥羽天皇の皇后。近衛天皇の母。藤原長実の娘で、名は得子。近衛天皇の死後、崇徳上皇の皇子重仁親王を退けて後白河天皇を即位させ、保元の乱の原因をつくった。みふくもんいん。

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百科事典マイペディアの解説

美福門院【びふくもんいん】

鳥羽天皇皇后。藤原長実の娘。名は得子。天皇譲位後に寵を得て皇子(近衛天皇)を生み,皇后位につく。崇徳(すとく)天皇を譲位させてわずか3歳の近衛天皇を即位させ,近衛天皇没後は崇徳上皇皇子を退けて後白河天皇を即位させるなど,保元(ほうげん)の乱の原因をつくる。
→関連項目信太荘藤原忠通矢野荘

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

美福門院 びふくもんいん

1117-1160 平安時代後期,鳥羽(とば)天皇の皇后。
永久5年生まれ。藤原長実の次女。母は源俊房の娘方子。鳥羽上皇の寵(ちょう)をえて,子の体仁(なりひと)親王(近衛天皇)を3歳で皇位につかせる。近衛天皇が早世すると,崇徳(すとく)上皇の皇子重仁親王をしりぞけて後白河天皇を即位させ,保元(ほうげん)の乱の原因をつくった。八条院,高松院の母。永暦(えいりゃく)元年11月23日死去。44歳。名は得子(とくし)。

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世界大百科事典 第2版の解説

びふくもんいん【美福門院】

1117‐60(永久5‐永暦1)
鳥羽上皇の皇后。名は得子。父は藤原長実,母は源俊房の女方子。鳥羽天皇の譲位後,その宮に仕えて寵を得,1139年(保延5)女御となり,41年3月准三宮宣下を被り,同年12月皇后に冊立された。ついで49年(久安5)8月美福門院の院号宣下を被って女院となり,56年(保元1)落飾して真性定と号し,60年没した。ときに44歳。女院は鳥羽上皇の寵を背景に,皇子体仁(なりひと)親王(近衛天皇)を生後わずか3ヵ月で皇太子に立て,皇太子が3歳になるや崇徳天皇を譲位させて皇位につかせた。

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大辞林 第三版の解説

びふくもんいん【美福門院】

1117~1160) 鳥羽天皇の皇后。藤原長実の娘。近衛天皇の母。名は得子。近衛天皇の死後、崇徳上皇の皇子重仁親王を退けて後白河天皇を即位させ、保元の乱の原因をつくった。みふくもんいん。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

美福門院
びふくもんいん
(1117―1160)

鳥羽(とば)上皇の皇后。藤原長実(ながざね)の娘で名は得子、母は源俊房(としふさ)の娘方子。近衛(このえ)天皇の母。鳥羽は皇后待賢門院(たいけんもんいん)との仲が不和で、そのため上皇としては異例であったが、高陽(かや)院を皇后とした。しかし期待された男子が生まれず、そこで美貌(びぼう)の噂(うわさ)の高かった得子を入内(じゅだい)させ、皇子体仁(なりひと)親王が生まれた。1141年(永治1)3歳のとき体仁は皇位につき(近衛天皇)、母である得子の皇后としての権勢も高まった。49年(久安5)院号宣下。56年(保元1)鳥羽の死に際して落飾、真性定と称す。永暦(えいりゃく)元年11月23日死去。墓は和歌山県伊都(いと)郡高野(こうや)町大字高野山字蓮花谷の高野山陵。[川島茂裕]
『安田元久著『日本の歴史7 院政と平氏』(1974・小学館)』

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世界大百科事典内の美福門院の言及

【八条院】より

…鳥羽天皇の第3女。母は藤原長実の女美福門院得子。名は子。…

【保元の乱】より

…白河院没(1129)後はその子鳥羽上皇が院政をとったが,鳥羽院は1141年(永治1)崇徳(すとく)天皇(鳥羽院の子。実際は白河院の子で,そのため鳥羽院は〈おじご〉と呼んでいたという)を謀って退位させ,鳥羽院と美福門院(びふくもんいん)との間に生まれた近衛天皇(3歳)を即位させた。新天皇は病弱で55年(久寿2)に没するが,このとき崇徳上皇はみずからの重祚(ちようそ)か,子重仁親王の即位を期待した。…

【桃山[町]】より

…平安後期,この地を中心に鳥羽院領荒川(安楽川)荘が設置された。同荘は鳥羽院の妃美福門院から高野山に寄進され,以後,江戸時代も一帯は高野山領であった。町内には美福門院にかかわる伝承地が多く,その墓と伝える五輪塔,その開基と伝える修禅尼寺などがある。…

【矢野荘】より

…もと久富保と称し,11世紀末に播磨国赤穂郡大掾秦為辰が開発した私領である。秦氏はこれを修理大夫藤原顕季に寄進,それが顕季の孫で鳥羽上皇の皇后美福門院得子に伝えられ,1136年(保延2)鳥羽院庁牒によって正式に立券,ここに美福門院領として矢野荘を称することとなった。美福門院は御願寺として歓喜光院を創建,矢野荘はその所領となったが,美福門院の没後はその子八条院子に伝えられた。…

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