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南禅寺 なんぜんじ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

南禅寺
なんぜんじ

京都市左京区にある臨済宗南禅寺派の本山。亀山上皇正応4 (1291) 年頃離宮 (禅林寺殿) を寺とし,無関普門 (大明国師) を開山とした。鎌倉・室町時代には官寺として五山の首位の寺格をもった。明徳4 (1393) 年,文安4 (1447) 年,応仁1 (67) 年の火災で伽藍の大部分を焼失。現在の伽藍は慶長 10 (1605) 年に崇伝が再興したもの。天正内裏の清涼殿を同 15年に移建した大方丈 (国宝) には,伝狩野永徳筆の『二十四孝図』その他の襖絵の名品がある。また庭園は小堀遠州の作と伝えられ,俗に「虎の子渡し」の名がある。

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デジタル大辞泉の解説

なんぜん‐じ【南禅寺】

京都市左京区にある臨済宗南禅寺派大本山。正しくは太平興国南禅禅寺山号瑞竜山。正応4年(1291)無関普門を開山とし、亀山法皇の離宮を寺としたのに始まる。足利義満のとき、五山の別格上位に列せられた。藤堂高虎造営の三門、国宝の方丈などのほか、小堀遠州の作と伝える枯山水庭園がある。江戸初期に以心崇伝が住した金地院をはじめ塔頭(たっちゅう)も多い。

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百科事典マイペディアの解説

南禅寺【なんぜんじ】

京都市左京区南禅寺福地町にある臨済宗南禅寺派大本山。山号は瑞竜山。最勝院とも称す。本尊聖観音。1291年亀山上皇がその離宮を寺に改め,無関普門〔1212-1291〕を開基とした。
→関連項目異国日記義堂周信京都[市]玉【えん】梵芳倉月荘左京[区]障壁画橘御薗初倉荘本光国師日記妙心寺矢野荘

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デジタル大辞泉プラスの解説

南禅寺

京都府京都市左京区にある寺院。創建は1291年。臨済宗南禅寺派大本山、本尊は釈迦牟尼仏。国宝の方丈など多くの文化財を保有。境内は国指定史跡。

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世界大百科事典 第2版の解説

なんぜんじ【南禅寺】

京都市左京区にある臨済宗南禅寺派の総本山。瑞竜山と号し,正式には太平興国南禅禅寺という。1264年(文永1)亀山天皇は現寺地の東山山麓に離宮を営んで禅林寺殿と称したが,のちに禅宗に帰依し,91年(正応4)東福寺3世の無関普門(むかんふもん)(大明国師)を開山に招いて,この離宮を寺に改めた。これが当寺の起源である。だが普門はその年に入滅,ために翌年規庵祖円(きあんそえん)(南院国師)が入寺し,勅を受けて伽藍造営に着手した。

なんぜんじ【南禅寺 Nán chán sì】

中国,山西省五台山李家庄にある仏寺。寺の規模は小さく,大殿は1953年の調査で発見された中国に現存する最古の木造建築で,唐の建中3年(782)の建立。寺の創建は唐代と伝えられ,小寺であったために〈会昌の滅法〉(845)を免れたらしい(三武一宗の法難)。大殿は低い基壇の上に立ち,前面に月台があり,間口3間(11.75m),奥行3間(10m),入母屋造の小さな建物である。梁下端の墨書により建立年代,および宋の元祐1(1086)に大修理されて柱の一部が取り換えられたことが知られ,また明・清時代にも部分修理が行われているが,基本的には原型をとどめる。

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大辞林 第三版の解説

なんぜんじ【南禅寺】

京都市左京区南禅寺福地町にある臨済宗南禅寺派の大本山。山号、瑞竜山。亀山天皇の離宮(禅林寺殿)を、1291年に無関普門むかんふもん1212~1291)を開山として禅寺に改めたのにはじまる。正安年間(1299~1302)に寺号を瑞竜山太平興国南禅禅寺とした。五山の第一位に列し、足利義満のとき、別格上位の「五山之上しじよう」となり、禅宗寺院最高の寺格を誇った。室町中期以後衰えたが、江戸初期、以心崇伝すうでんらの努力で再興。桃山期建立の方丈は国宝で、襖絵ふすまえは狩野派によって描かれている。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

南禅寺
なんぜんじ

京都市左京区南禅寺福地町にある臨済(りんざい)宗南禅寺派の大本山。正式には瑞竜(ずいりょう)山大平興国(たいへいこうこく)南禅禅寺といい、京都五山の首位にたつ禅寺である。1291年(正応4)亀山(かめやま)上皇が離宮を改めて建てた寺で、初め竜安山禅林禅寺と称していたが、南禅寺とするにあたって東福寺開山円爾弁円(えんにべんえん)の法を継いだ無関普門(むかんふもん)(仏心(ぶっしん)禅師、大明(たいみん)国師)を招いて開山とした。門下の規庵祖円(きあんそえん)が第2世となってこの寺の基礎を築いた。1299年(正安1)亀山上皇の勅命で諸山の禅僧のうちでとくに優れた者を住持させることになってからは、第3世一山一寧(いっさんいちねい)、第5世約翁徳倹(やくおうとくけん)、第9世夢窓疎石(むそうそせき)、第15世虎関師錬(こかんしれん)、第39世春屋妙葩(しゅんおくみょうは)、第44世義堂周信(ぎどうしゅうしん)などの名僧が入山した。南禅寺の社会的な地位はきわめて高く、1335年(建武2)に京都五山の第一とされ、1383年(弘和3・永徳3)に足利義満(あしかがよしみつ)が京都鎌倉五山十刹(じっさつ)の制度をつくった際には、天下第一位として五山の上に置かれた。歴代の朝廷や足利、豊臣(とよとみ)、徳川諸家の保護を受け、江戸時代には第270世以心崇伝(いしんすうでん)が幕府の信任を受けて寺社関係の政策をつかさどり、1615年(元和1)寺社奉行(ぶぎょう)の前身である僧録司(そうろくし)となった。
 諸堂伽藍(がらん)は1467年(応仁1)までに数度の火災で焼失し、山門(三門)、法堂(はっとう)、方丈、勅使門など現存の建物は安土(あづち)桃山時代以後の建造物である。山門(国重要文化財)は1628年(寛永5)大坂夏の陣に倒れた将士の菩提(ぼだい)を弔うため藤堂高虎(とうどうたかとら)によって再建されたもので、天下竜門といい、上層の楼を五鳳楼(ごほうろう)とよぶ。また歌舞伎(かぶき)の『楼門五三桐(さんもんごさんのきり)』の石川五右衛門(ごえもん)の伝説で有名。方丈(国宝)は大方丈と小方丈に分かれている。大方丈は1611年(慶長16)後陽成(ごようぜい)天皇より下賜された旧清涼殿(一説には正親町(おおぎまち)院御所対面所)を移建したもので、各室には狩野元信(かのうもとのぶ)・永徳(えいとく)筆と伝える豪華な桃山式の襖絵(ふすまえ)がある。小方丈は旧伏見(ふしみ)城の遺構で、狩野探幽(たんゆう)筆と伝える襖絵『水呑(みずのみ)の虎(とら)の図』は名高い。大方丈南面の庭園は慶長(けいちょう)年間(1596~1615)小堀遠州作と伝える禅院式枯山水(かれさんすい)庭園で、巨石の姿から俗に「虎の子渡しの庭」とよばれる。北側には宗(そうへん)流の茶室不識庵(ふしきあん)があり、露地を囲む竹垣は南禅寺垣といわれる。寺宝には、亀山天皇宸翰(しんかん)禅林寺御起願文案(国宝)をはじめ、開山の『頂相(ちんぞう)大明国師像』、『釈迦(しゃか)十六善神画像』、『薬山李(やくさんりこう)問答図』、『江山漁舟図』(蒋三松筆)、『達磨(だるま)像』(祥啓筆)などの絵画、彫刻では木造聖観音(しょうかんのん)立像、工芸では鎌倉彫牡丹模様香盒(ぼたんもようこうごう)(以上、重文)などがある。
 塔頭(たっちゅう)は現在、金地(こんち)院、天授(てんじゅ)庵、帰雲(きうん)院、光雲(こううん)寺、聴松(ちょうしょう)院、真乗(しんじょう)院、高徳(こうとく)庵、法皇(ほうこう)寺、慈氏(じし)院、正因(しょういん)庵、正的(しょうてき)院、南陽(なんよう)院の12院がある。金地院には『渓陰小築(けいいんしょうちく)図』『秋景冬景山水図』二幅(ともに国宝)などや、小堀遠州が崇伝の依頼を受けて設計した茶室八窓(はっそう)席(重文)がある。また、別院南禅院は離宮禅林寺殿の「上の宮」遺跡で、南禅寺発祥の地といわれている。[菅沼 晃]
『桜井景雄著『南禅寺史』(1977・法蔵館) ▽荻須純道著『日本中世禅宗史』(1976・木耳社) ▽『古寺巡礼 京都12 南禅寺』(1977・淡交社)』

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世界大百科事典内の南禅寺の言及

【以心崇伝】より

…足利義輝の近臣一色藤長の孫。足利氏滅亡のとき父秀勝に死別し,京都南禅寺に入って玄圃霊三に師事する。かたわら醍醐三宝院に学び,相国寺の西笑承兌にも教えを受け,のち南禅寺金地院の靖叔徳林についてその法嗣となった。…

【京都五山】より

鎌倉五山に対し,京都にある臨済宗の大禅刹,すなわち南禅寺・天竜寺・相国(しようこく)寺・建仁寺・東福寺・万寿寺をいう。中国南宋代の五山官寺制度が,日本に移植されたのは鎌倉時代末期のことで,はじめは建長寺・円覚寺など鎌倉の大禅刹をもって五山としていた。…

【金地院】より

…京都市左京区にある臨済宗南禅寺の塔頭(たつちゆう)。徳川家康の側近として幕府の政治の枢機に列した黒衣(こくえ)の宰相,以心崇伝が住んだ寺である。…

【初倉荘】より

…美福門院が亡くなると,娘の八条院子に伝領され,大覚寺統の最重要所領たる八条院領の一つとなった。1299年(正安1)亀山上皇によって南禅寺に寄進され,以後南禅寺領として戦国時代に至る。南禅寺の初倉荘支配は主として守護被官による代官請であり,国人領主層の蚕食が繰り返されて,その支配は不安定であった。…

【無関普門】より

…この間,亀山法皇は深く無関に帰依し,91年(正応4)離宮禅林寺殿を禅院に改め,無関を開山に請じた。これが南禅寺である。彼は東福寺と南禅寺を両摂したが,その年の12月12日東福寺において没した。…

【寺院建築】より

…唐代以前の寺院建築は,会昌の廃仏(三武一宗の法難)や火災などでほとんど失われ,今日に伝わるものはきわめて少ないが,晩唐以降の木造寺院建築遺構は,都城,宮殿,壇廟の古い実例が残存しない中国建築の,様式,技術的発展を知るうえでの限られた貴重な資料である。現存する木造の遺構では,小規模ながら南禅寺大殿(山西省五台山。唐,782),広仁王廟大殿(山西省芮城。…

※「南禅寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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