正岡国男(読み)マサオカ クニオ

20世紀日本人名事典 「正岡国男」の解説

正岡 国男
マサオカ クニオ

昭和期の写真家 広島写真連盟会長。



生年
明治41(1908)年11月28日

没年
昭和53(1978)年4月7日

出生地
広島県広島市

本名
正岡 登(マサオカ ノボル)

学歴〔年〕
広陵中卒

経歴
大正14年頃から写真をはじめ、昭和3年より広島でアマチュア写真団体広島ハイキー倶楽部を主宰。その傍らで写真雑誌でも作品の発表を行い、12年中国写真家集団の創立に参画、中心メンバーとして活躍した。19年兵役に召集され、終戦後帰郷実家原爆の被害に遭い作品やネガを失ったが、大深美野路・上野正雄と共にトリオ写場を設立するなど、すぐに活動を再開した。22年広島写真サロンを創立、次いで広島写真連盟を興して32年には同会長に就任し、広島県の写真界復興と後進指導に貢献した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「正岡国男」の解説

正岡国男 まさおか-くにお

1908-1978 昭和時代の写真家。
明治41年11月28日生まれ。昭和8年から広島ハイキー倶楽部(クラブ)を主宰。戦後,広島写真サロンを創立し,後進の指導につとめた。32年広島県写真連盟会長。昭和53年4月7日死去。69歳。広島県出身。広陵中学卒。本名は登。

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