正崎村(読み)しようざきむら

日本歴史地名大系 「正崎村」の解説

正崎村
しようざきむら

[現在地名]山陽町正崎

すな川の左岸五日市いつかいち村の南に位置する。慶長九年(一六〇四)検地帳(花房文書)によると村高五四〇石余、荒など引いた残高五〇七石余。同一〇年の備前国高物成帳(備陽記)では鳥取ととり庄に村名がみえる。寛永備前国絵図では高四八二石、正保郷帳南東三又みつまた村の高を含んで五八四石余。貞享元年(一六八四)の赤坂郡高目録(池田家文庫)によると万治三年(一六六〇)に古川新田六五石余が開発され二口高六〇九石余、貞享元年には荒などを引いた残高五一四石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む