日本歴史地名大系 「正智院跡」の解説
正智院跡
しようちいんあと
巌寺」とあり、藩政期末と推定される南部領寺社鑑写(岩手県盛岡市中央公民館蔵)によれば、現米六〇石を給され、御目見を許されていた。「邦内郷村志」には「利直公御子彦八郎利康公、寛永八年十一月廿一日御卒去、乃葬送之地也、故建立正智院、以御居間辺材木云、自開山泉済寛政三年辛亥十二代」と記されているが、明治初年の「新撰陸奥国誌」は泉済は中興開山であろうとしている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報