正福院貝塚(読み)しようふくいんかいづか

日本歴史地名大系 「正福院貝塚」の解説

正福院貝塚
しようふくいんかいづか

[現在地名]白岡町白岡 茶屋

元荒川左岸のやや舌状にせりだした台地上にある。標高は約一四メートル、沖積地との比高は約四メートル。貝塚は直径約五メートルの集中地点が五ヵ所確認されており、ほぼ環状に並ぶ。アサリオキシジミサルボウカキハマグリなどで構成されているが、貝塚の時期は貝塚部分が未調査のため不詳。表面採集では、縄文時代後期の土器片を主体に、縄文時代各期の遺物が確認されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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