日本歴史地名大系 「白岡村」の解説 白岡村しらおかむら 埼玉県:南埼玉郡白岡町白岡村[現在地名]白岡町白岡・西(にし)現白岡町の中央部、元荒川左岸に位置する。東は小久喜(こぐき)村、南は城(じよう)村・新宿(しんしゆく)村(現蓮田市)、西は元荒川を隔てて閏戸(うるいど)村・貝塚(かいづか)村(現同上)、北は篠津(しのづ)村。西側は元荒川および磯(いそ)川の低地、東側は隼人(はやと)堀川の低地で、南北に連なる台地は白岡支台とよばれている。中世には鬼窪(おにくぼ)郷に含まれ、野与党の南鬼窪行親は当地出身で、四代目澄意は白岡禅師澄意と称し(「野与党系図」諸家系図纂)、白岡に住したという。天文一七年(一五四八)六月一日の綱繁判物写(武州文書)に「白岡薬師免」とみえる。菖蒲(しようぶ)領のうち(風土記稿)。寛永八年(一六三一)板倉重宗による検地があり、都合高七〇六石余、反別七七町七反余、名請人七七(慶安三年写「寛永八年菖蒲領之内白岡村検地帳」細井家文書)。田園簿によると田高一一四石余・畑高一三七石余、旗本川副領。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by