正観寺村(読み)しようかんじむら

日本歴史地名大系 「正観寺村」の解説

正観寺村
しようかんじむら

[現在地名]高崎市正観寺町

榛名(はるな)山の東南麓から平坦部につながる傾斜変換線に立地。中尾(なかお)村の西にあり、西は福島(ふくしま)村(現群馬郡群馬町)、北は菅谷(すがや)村(現同上)。群馬郡に属した。古くは上八木(かみやぎ)郷に含まれ、当地にあった威徳山正観寺にちなみ、元和六年(一六二〇)より正観寺村と号したというが(寛文七年「由緒書」武井文書)、同五年安藤対馬守殿御領分高覚帳(東大史料編纂所蔵)には向郷に村名がみえる(高崎藩領)。高三七五石余、田方八町九反余・畑方二五町余。同藩領についての明治二年(一八六九)家数人数取調帳(小島文書)によると、天明年中(一七八一―八九)の家数六〇・人数二六〇。元禄一五年(一七〇二)から高崎宿の加助郷となった(更正高崎旧事記)。


正観寺村
しようかんじむら

[現在地名]菊池市隈府(わいふ)

城山(しろやま)の丘陵地から南へ舌状に開ける扇状地に位置する。東は輪足(わたり)村、南は北宮(きたみや)村、西は隈府町、北は高野瀬(たかのせ)村に接する。隈府町高札辻まで約三九〇間。村域中央を築地(ついじ)井手が流れる。「菊池風土記」は往古菊池城院があり、院馬場(いんばば)を略し馬場村と称されていたが、菊池氏によって正観寺が建立されたのち正観寺村とよばれるようになったと伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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