日本大百科全書(ニッポニカ) 「武備和訓」の意味・わかりやすい解説
武備和訓
ぶびわくん
近世中期の教訓書。全5巻。著者は筑前(ちくぜん)の人、片島武矩(かたしまたけのり)。1717年(享保2)大坂で刊行された。本書は初学者のために、武芸学習の大概を紹介し、その必要性を強調したもので、初版後まもなく、本・末2巻を付録させて全7巻仕立てとし、題簽(だいせん)を『武士和訓』と改めている。この付録2巻は講武の手段として鹿狩(ししがり)と火消(ひけし)(消防)の組織について私見を述べたもので、8代将軍吉宗(よしむね)の改革政治の動向に、いち早く対応しようとしたものである。ついで、翌18年春、この書の補論として『武芸訓(ぶげいくん)』全5巻を出版している。武矩の伝記は明らかではないが、福岡時代に儒を貝原益軒(かいばらえきけん)、甲州流兵学を香西成資(こうざいなりすけ)に学び、また叔父大野佐五右衛門吉規(おおのさごえもんよしのり)について自得(じとく)流砲術を修め、その後継者となっている。享保(きょうほう)(1716~36)の初め大坂に居住して、摂陽隠士深淵子(しんえんし)と称し、文筆活動に携わったが、前記2著のほか『明君文武蹟(せき)』『武田三代記』や、赤穂(あこう)浪士の十七回忌にあたり、その義勇に感じ、これを顕彰しようとした『赤城義臣伝(せきじょうぎしんでん)』(全15冊)がある。
[渡邉一郎]