武山勘七(読み)たけやま・かんしち

朝日日本歴史人物事典 「武山勘七」の解説

武山勘七

没年:明治40.8.24(1907)
生年:安政1.2.2(1854.2.28)
明治期の名古屋の有力商人,地主,企業家。武山家は江戸時代から呉服太物問屋を営み,美濃屋と称した。おおむね代々勘七を世襲し,名古屋万屋町に居住する。19世紀より富裕となり,名古屋長者番付で西前頭筆頭となる。御用商人として取り立てられ尾張藩財政に寄与する。明治前期には99町余(約98ha)の地主であり,長者番付では西の小結に昇った。明治期の勘七は名古屋紡績会社の設立に参加したほか,堀川銀行頭取,第十一銀行取締役,堀川貯蓄銀行取締役,帝国撚糸監査役,名古屋米穀取引所理事を務め,名古屋の近代経済発展に貢献した。<参考文献>『名古屋市史』産業編,『東海銀行史』,林董一『名古屋商人史』

(浦長瀬隆)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「武山勘七」の解説

武山勘七 たけやま-かんしち

1854-1907 明治時代の商人。
嘉永(かえい)7年2月2日生まれ。家は代々勘七を名のる名古屋の木綿問屋で,屋号は美濃屋。名古屋紡績創設に参加,名古屋米穀取引所理事,堀川銀行頭取などをつとめた。明治40年8月24日死去。54歳。

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