李完用(読み)り

  • 1858―1926
  • Yi Wanyong
  • りかんよう
  • りかんよう / イワニョン
  • 李完用 (R)I Wangyong
  • 李完用 り-かんよう
  • 李完用 イ-ワンヨン

美術人名辞典の解説

朝鮮の政治家。牛峰生。字は敬徳、一堂と号する。駐米韓国参賛官となり、のち駐米代理公使に赴任した。帰国後、学部大臣を経て親日内閣の総理大臣に至り、日韓合併条約署名。併合後伯爵を授けられ、のち侯爵となる。漢学を能くし、書も巧みであった。1926(昭和元年)歿、68才。

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百科事典マイペディアの解説

朝鮮の官僚。1896年以降,外務大臣などの政府要職を歴任。韓国を日本の保護国とした日韓保護条約締結(1905年)に文部大臣として賛成。親日的として大衆非難の的になる。1907年内閣総理大臣。反日的な国王高宗の退位(1907年),第3次日韓協約(1907年)の成立に一役買い,1910年日韓併合条約に調印
→関連項目李人稙

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

1858-1926 朝鮮王朝の政治家。
哲宗9年生まれ。駐米代理公使をつとめ,政界にはいる。はじめ親米派,のち親露派の政策をとるが,日露戦争後は親日派に転向。1907年総理大臣となり第3次日韓協約に調印,1909年日本の植民地化に反対する青年におそわれる。1910年「韓国併合に関する条約」を締結した。その功績により日本政府より爵位がおくられた。1926年2月11日死去。69歳。

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世界大百科事典 第2版の解説

1858‐1926
朝鮮の韓末・植民地期の親日派官僚。1882年科挙合格,外交畑を中心に歩み,渡米2回の経験を持つ。金弘集内閣を倒した96年のクーデタによって成立した親露政権で外部大臣(外務大臣)となる。その後も政府の要職を歴任し,1905年の日韓保護条約(乙巳(いつし)条約ともいう)の締結のおりには学部大臣(文部大臣)としてこれに賛成,〈乙巳五賊〉の一人に数えられる。このころからもっとも親日的な官僚として大衆の非難の的になりながら,07年には内閣総理大臣となる。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

[生]高宗5(1868)
[没]1926
朝鮮,朝鮮王朝 (李朝) 末期の政治家。日韓併合条約のときの首相で,韓国代表署名者。京畿道広州郡出身。字は敬徳。号は一堂。高宗 19 (1882) 年文科試験に及第。同 24年駐米公使の随員として渡米,以来親米派として活躍した。学部大臣,外相を経て建陽1 (96) 年親露派の李範晋らと結び,国王をロシア公使館に幽閉してから親露派となり,親日派金弘集内閣を倒し,排日運動に活躍した。日露戦争後,親日派に転じ,日韓協約には率先して調印した。伊藤博文後援のもとに首相に就任し,隆煕4 (1910) 年日本の朝鮮併合に協力した。日本政府より伯爵のち侯爵を授けられ,併合後,朝鮮総督府の中枢院副議長,顧問などになった。そのため朝鮮独立運動者に売国者として,家屋に放火されたり,刺傷させられたりした。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

大韓帝国期の政治家。韓国併合に強く関与したために、韓国では対日協力者という意味の「親日派」の代表とされている。

 京畿道(けいきどう/キョンギド)広州(クァンジュ)生まれ。1887年、アメリカ公使館に勤務。1894年、金弘集(きんこうしゅう/キムホンジプ)内閣で外務協弁(外務次官)、1895年、朴定陽(ぼくていよう/パクチョンヤン)(1841―1904)内閣で学部大臣(文科大臣)を務めるとともに、親露勢力に接近した。

 1896年2月、李完用らが高宗をロシア公使館に移して(俄館播遷(がかんはせん)、露館播遷ともいう)、親露派内閣の金炳始(きんへいし/キムビョンシ)(1832―1898)内閣が成立すると、外部大臣になる。1901年、一時政界を引退するが、1904年に復帰し、日露戦争で日本が勝利して以後、対日協力姿勢に転じた。1905年、朴齊純(ぼくせいじゅん/パクチェスン)(1858―1916)内閣で学部大臣となり、同年11月、韓国の外交権を日本に移す第二次日韓(にっかん)協約(乙巳(いっし)保護条約)の締結に賛成した。韓国では現在、このとき条約に賛成した李完用らを「乙巳五賊(いっしごぞく)」とよぶ。

 1907年5月、参政大臣(6月より内閣総理大臣)となる。高宗が、第二次日韓協約の無効を訴えようとしてオランダのハーグに密使を派遣したハーグ密使事件が起こると、高宗に退位を迫って純宗(1874―1926)へ譲位させた。1907年7月、韓国の内政権を日本が掌握する第三次日韓協約に調印して、同年10月に日本国勲一等旭日大綬章を受章したが、これらに反発する民衆に自宅を焼かれ、独立運動家の李在明(りざいめい/イジェミョン)(1890―1910)に襲われ重傷を負った。

 1910年8月、韓国併合条約に調印し、併合後は伯爵となる(1920年より侯爵)。朝鮮総督府の諮問機関である朝鮮総督府中枢院顧問などを務める。1926年(大正15)2月、死のまぎわに、大勲位菊花大綬章叙勲が決定された。

[武井 一]

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