武衛陣跡(読み)ぶえいじんあと

日本歴史地名大系 「武衛陣跡」の解説

武衛陣跡
ぶえいじんあと

室町幕府の管領斯波義将が造営した邸宅。武衛は尊氏より与えられた家号というが(山城名勝志)、不明。

中昔京師地図では東は烏丸からすま小路(現烏丸通)、西は町尻まちじり小路(現新町通)、北は勘解由小路かげゆこうじ(現下立売通)、南は中御門なかみかど大路(現椹木町通)にわたる方一町を占め、現在の武衛陣町中央以西、東立売ひがしたちうり町中央以南、門跡もんぜき町、春帯はるおび町中央以北にあたる。「山城名勝志」(正徳元年刊)によれば斯波義将が康永年中(一三四二―四五)居を構えたのに始まる。数代にわたり斯波氏が継承したが、応仁の乱で兵火にかかり(応仁記)、義廉と義敏の家督争いなどで衰微した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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