日本歴史地名大系 「殿谷城跡」の解説 殿谷城跡とんのやじようあと 静岡県:掛川市本郷村殿谷城跡[現在地名]掛川市本郷 中殿谷原野谷(はらのや)川左岸にある山城跡。標高一四〇メートルの山頂を本曲輪として、東西六五〇メートル・南北五〇〇メートルの城域をもつ。「掛川誌稿」では高藤(たかふじ)古城とみえ、家代(いえしろ)・細谷(ほそや)・遊家(ゆけ)・本郷(ほんごう)四ヵ村の境を高藤と称したという。元徳三年(一三三一)原忠益が築城したと伝える。「円通松堂禅師語録」によると、明応三年(一四九四)に北条早雲が遠江三郡に侵攻した際のこととして「推落高城、殺戮官軍、狼烟瓦天、焼民家」と記され、ここにみえる高城は当城のこととされる。城の北側は断崖、東は急斜面のため、南側からの攻撃を想定した曲輪配置となっている。本曲輪は三段に分れ、三方を土塁が巡っている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by