日本歴史地名大系 「本郷村」の解説
本郷村
ほんごうむら
阿賀川左岸、
本郷村
ほんごうむら
建永年間(一二〇六―〇七)に東国より沼田庄に来住した地頭小早川茂平は、村の北に
本郷村
ほんごうむら
玖珂郡の北部、
村名の初見は「大永ノ記録」(「山代温故録」所収)で「本郷郷 刀禰山代主計丞(中略)付、郷中畑々、大谷・亀尾川とともに」とあり、
村名については「注進案」に「当邑地名、往古六郷七畑の時は、当郷を本部として、黒沢・宇塚・本谷・秋懸四ケ村を属邑とす、当地本部の郷なる故、本郷と唱へ候事」と説明している。
本郷村
ほんごうむら
〔中世〕
小保田にある二ッ堂蔵地蔵菩薩坐像の文明一八年(一四八六)四月八日の銘に「北郡穂田郷河上大河村」とみえ、大河村住人が心願成就のため造立、奉納したものであった。永禄一〇年(一五六七)郷内橋本の中井十郎左衛門当給地が
〔近世〕
慶長二年(一五九七)の安房国検地高目録に穂田村とみえ、高五九一石余、うち田方三四〇石余。
本郷村
ほんごうむら
- 広島県:庄原市
- 本郷村
村域中央部に位置する
本郷村
ほんごうむら
群馬郡に属し、
承応三年(一六五四)の検地帳(島方文書)では田畑屋敷合計反別は九八町三反余、ほかに御蔵屋敷・満蔵坊寺・
本郷村
ほんごうむら
古代の大飯郷(和名抄)の地。貞応二年(一二二三)の関東下知状(本郷文書)に、
とみえ、本郷有康が幕府から本郷の地頭職を安堵されている。文永二年(一二六五)の若狭国惣田数帳写に「本郷百十六町八反二百九十歩」とあり、「地頭美作左
本郷村
ほんごうむら
本郷村
ほんごうむら
本郷村
ほんごうむら
村域は永万二年(一一六六)正月日付備後国司庁宣(高野山文書)によって紀州高野山領大田庄に含まれ、大田郷(大田方)の中心となった。
本郷村
ほんごうむら
本郷村
ほんごうむら
本郷村
ほんごうむら
- 千葉県:船橋市
- 本郷村
本郷村
ほんごうむら
本郷村
ほんごうむら
本郷村
ほんごうむら
本郷村
ほんごうむら
青竜寺川の西岸にあり、東は
本郷村
ほんごうむら
- 岐阜県:瑞浪市
- 本郷村
南西流する土岐川支流日吉川沿いの谷に開けた盆地中央部を占める。南は
本郷村
ほんごうむら
- 岐阜県:羽島市
- 本郷村
地元ではホンゴとよび習わす。
本郷村
ほんごうむら
- 東京都:中野区
- 本郷村
豊島郡との境の村で、南に本郷新田がある。北は中野村、南は豊島郡
本郷村
ほんごうむら
本郷村
ほんごうむら
本郷村
ほんごうむら
- 埼玉県:川口市
- 本郷村
赤井村の東に位置し、台地と低地からなる。村のほぼ中央に
本郷村
ほんごうむら
- 埼玉県:所沢市
- 本郷村
本郷村
ほんごうむら
本郷村
ほんごうむら
- 埼玉県:大宮市
- 本郷村
本郷村
ほんごうむら
天正七年(一五七九)の上諏訪大宮同前宮造宮帳(諏訪頼宜氏蔵)によれば、諏訪社上社の瑞籬三間の造宮銭請取のうち「本郷 正物九百七十二文 此外百四十
とある。
村の南部にある本郷城や臨済宗
本郷村
ほんごうむら
- 静岡県:掛川市
- 本郷村
南流する
本郷村
ほんごうむら
本郷村
ほんごうむら
本郷村
ほんごうむら
本郷村
ほんごうむら
- 広島県:尾道市
- 本郷村
元和五年(一六一九)の備後国知行帳では村高六二八・〇五九石。広島藩蔵入地。「芸藩通志」によると、畝数七三町四反余で高八〇七・五五八石、戸数二三四・人口一千二三一、牛一七四・馬二。御建山に
本郷村
ほんごうむら
本郷村
ほんごうむら
本郷村
ほんごうむら
- 東京都:八王子市
- 本郷村
本郷村
ほんごうむら
- 群馬県:藤岡市
- 本郷村
本郷村
ほんごうむら
本郷村
ほんごうむら
南部六郷の一つ。
本郷村
ほんごうむら
本郷村
ほんごうむら
本郷村
ほんごうむら
本郷村
ほんごうむら
本郷村
ほんごうむら
本郷村
ほんごうむら
本郷村
ほんごうむら
北は西流する木曾川を境とし、西は
本郷村
ほんごうむら
本郷村
ほんごうむら
本郷村
ほんごうむら
本郷村
ほんごうむら
本郷村
ほんごうむら
本郷村
ほんごうむら
本郷村
ほんごうむら
本郷村
ほんごうむら
本郷村
ほんごうむら
本郷村
ほんごうむら
本郷村
ほんごうむら
- 宮城県:名取市
- 本郷村
北を
本郷村
ほんごうむら
本郷村
ほんごうむら
本郷村
ほんごうむら
本郷村
ほんごうそん
- 山口県:玖珂郡
- 本郷村
現玖珂郡の中央北寄りに位置し、北に
本郷村
ほんごうむら
本郷村
ほんごうむら
本郷村
ほんごうむら
- 静岡県:藤枝市
- 本郷村
現
本郷村
ほんごうむら
本郷村
ほんごうむら
本郷村
ほんごうむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報