比角庄(読み)ひすみのしよう

日本歴史地名大系 「比角庄」の解説

比角庄
ひすみのしよう

現柏崎市比角付近の庄園。初見は「吾妻鏡」文治二年(一一八六)三月一二日条に載せる関東知行国乃貢未済庄々注文で「穀倉院領比角庄」とある。穀倉院は九世紀初頭に貯穀庫として成立、やがて宮廷行事の饗饌に関係するようになった令制外の官司。別当は早くから中原氏・清原氏らが家職化するが、両氏はまたしばしば越後介・大掾などを勤めた。たとえば保元元年(一一五六)に越後介である中原師元が穀倉院別当を兼ねた(尊卑分脈)ことなどは、比角庄の成立との関連を推察させる。「師守記」貞治三年(一三六四)六月一八日条に「今日穀倉院領越□□(中国)□□保・越後国比角庄等事、於吉良殿手、(披)露云々」と記されているので、南北朝に入ってなお穀倉院領であったことがわかる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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