20世紀日本人名事典 「毛利安子」の解説 毛利 安子モウリ ヤスコ 江戸時代末期〜大正期の社会事業家 大日本婦人教育協会会長。 侯爵・毛利元徳の妻。 生年天保14年3月(1843年) 没年大正14(1925)年7月25日 出生地江戸 経歴実父は長府藩主毛利元運で、嘉永4年(1851年)萩藩主毛利敬親の養女となる。安政5年(1858年)親戚の徳山藩主毛利家から元徳を婿養子に迎え、慶応1年(1865年)には長男を出産した。維新後は社会事業に従事し、明治23年に日本婦人教育協会会長に就任するなど婦人の地位向上に貢献。また、慈善活動にも力を注ぎ、日本赤十字社の要職を歴任した。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「毛利安子」の解説 毛利安子 もうり-やすこ 1843-1925 幕末-大正時代,毛利元徳(もとのり)の妻。天保(てんぽう)14年3月生まれ。毛利元運(もとゆき)の次女。嘉永(かえい)4年毛利敬親(たかちか)の養女となり,安政5年元徳を婿にむかえる。明治23年大日本婦人教育協会会長。のち日本赤十字社の要職をつとめた。大正14年7月25日死去。83歳。初名は銀姫。号は桜渓。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by