げん‐とく【元徳】
[1] 〘名〙 ある特定の文化・社会において最も根源的とみなされる徳。たとえば、古代ギリシアでは
知恵、
勇気、
節制、
正義の四つを挙げ、
キリスト教では
信仰、
希望、愛の三つを挙げた。
※
集義和書(1676頃)六「仁は天の元徳
(ゲントク)にして生理也」
[2] 鎌倉末期、
後醍醐天皇の代の
年号。嘉暦四年(
一三二九)八月二九日疾疫の流行により
改元。元徳三年(
一三三一)八月九日、
元弘と改元。
出典は「書経‐酒誥」の「茲亦惟天若
二元徳
一、永不
レ忘
レ在
二王家
一」。
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デジタル大辞泉
「元徳」の意味・読み・例文・類語
げん‐とく【元徳】
たくさんの徳の中で最も根本となるもの。プラトンは知恵・勇気・節制・正義の四徳をあげ、中世キリスト教の支配した時代には信仰・希望・愛の神学的三徳をいった。主徳。
げんとく【元徳】[年号]
鎌倉末期、後醍醐天皇の時の年号。1329年8月29日~1331年8月9日。
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げんとく【元徳】
日本の元号(年号)。鎌倉時代の1329年から1331年まで、後醍醐(ごだいご)天皇の代の元号。前元号は嘉暦(かりゃく)。次元号は元弘(げんこう)。1329年(嘉暦4)8月29日改元。疫病流行の凶事を断ち切るために行われた(災異改元)。『周易正義(しゅうえきせいぎ)』を出典とする命名。元徳年間の鎌倉幕府の将軍は、鎌倉幕府最後の将軍である守邦(もりくに)親王(9代)、執権は北条(赤橋)守時(もりとき)(16代)。この頃、後醍醐天皇を中心に討幕計画が企てられていた。醍醐(だいご)寺の文観(もんかん)や法勝(ほっしょう)寺の円観(えんかん)らが、御所内で密かに関東(鎌倉幕府)調伏の祈祷を行っていたことが発覚し、1331年(元弘1)には六波羅探題(ろくはらたんだい)により日野俊基(としもと)、文観らが捕縛される事件が起こっている。後醍醐は同年、「元弘」への改元を行ったが、対立する持明院(じみょういん)統や鎌倉幕府はこれを認めず、翌年の「正慶(しょうきょう)」の改元まで、引き続き「元徳」を使用した。
出典 講談社日本の元号がわかる事典について 情報
普及版 字通
「元徳」の読み・字形・画数・意味
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
世界大百科事典(旧版)内の元徳の言及
【徳】より
…アリストテレスの徳論はその顕著な一例であり,前者は主として習慣化により,後者は主として教育により形成される。 人間存在の本質に応じて徳の本質には不変の面もあるが,何が当の社会や時代において元徳(基本的で枢要な徳)とみなされるかはさまざまでありうる。古代ギリシアでは,その都市国家(ポリス)の体制に応じて知恵,勇気,節制,正義の四元徳が成立し,中世キリスト教の立場では,この四元徳のうえに信仰,希望,愛が加えられて,カトリックの七元徳が成立した。…
※「元徳」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」