毛利庄(読み)もりのしよう

日本歴史地名大系 「毛利庄」の解説

毛利庄
もりのしよう

現愛甲郡愛川あいかわ町の八菅山はすげさん中津なかつ春日台かすがだい一―五丁目・棚沢たなざわ角田すみた、厚木市の中心部から妻田つまだ三田さんだ上荻野かみおぎの・中荻野・下荻野・飯山いいやまを含む広大な地域を占めた荘園

吾妻鏡」養和元年(一一八一)正月一八日条に「相模国毛利庄住人僧印景」とみえ、すでに平安時代末期から存在した。源平争乱の際、はじめ大庭景親らとともに平家方に立って戦った武士毛利景行(「吾妻鏡」治承四年八月二三日条)の名字の地であり、彼の一族が現地を支配したかと思われる。一方では源為義の弟で平治の乱に義朝方で戦い戦死した陸奥六郎義隆は「相模の毛利を知行せられければ、毛利の冠者とも申けり」(「平治物語」古活字本)といわれていて、源氏の一族が当庄を支配してもいたらしい。「吾妻鏡」建久五年(一一九四)八月八日条に源頼朝が諸将を率いて日向山ひなたさんに参詣した際、大江広元が「下毛利庄」で「駄餉(昼食)を献じたというから、あるいはこの時すでに上・下庄の区別があったのかもしれない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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