氏河原村(読み)うじかわらむら

日本歴史地名大系 「氏河原村」の解説

氏河原村
うじかわらむら

[現在地名]水口町宇川うかわ

北を野洲やす川、南をそま川が西流し、村西端で合流。集落は杣川右岸寄りにまとまる。東は北内貴きたないき村。中世から近世初頭まで宇治河原うじかわらと記された。当地は柏木かしわぎ御厨のうち宇治河原保として推移した。慶長五年(一六〇〇)幕府領、天和二年(一六八二)水口藩領となり幕末に至る。元和五年(一六一九)の宇治河原村免状(宇川区有文書、以下同文書は省略)では高八九九石余、うち永荒年々川成二五四石余、延宝七年(一六七九)検地帳によれば田六五町五反余・畑一町四反余・屋敷二町一反余、高一千一二一石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む