日本歴史地名大系 「気多宮村」の解説 気多宮村けたのみやむら 福島県:河沼郡会津坂下町気多宮村[現在地名]会津坂下町気多宮会津盆地と只見(ただみ)川を分ける山中にあり、越後街道が通り、東は塔寺(とうでら)村、西は鐘撞堂(かねつきどう)峠へ続く。村西で南西に沼田街道が分岐し、柳津(やないづ)村(現柳津町)へ向かう。そのため古くは追分(おいわけ)と称したが、文治二年(一一八六)弁慶が笈の背板を奉納して気多明神を祀ったとき、気多宮と改称したという。一説には桁宮と記していたが、寛文年中(一六六一―七三)気多宮としたという(新編会津風土記)。本村の南西七町一〇間に小名新田(しんでん)がある。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録に桁宮とあり、高七石余で「此内三石二斗七升川ヲシ」と注記される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by