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弁慶 べんけい

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

弁慶
べんけい

義経記 (ぎけいき) 』その他の文芸作品や伝説中で活躍する人物。鎌倉時代後期に成立した幕府の史書『吾妻鏡』に武蔵坊弁慶の名が源義経の従者として記されているが,実在の人物としての経歴は確認されていない。

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デジタル大辞泉の解説

べんけい【弁慶/辨慶】

[?~1189]鎌倉初期の僧。幼名、鬼若。号、武蔵坊(むさしぼう)。義経記吾妻鏡平家物語などによれば、熊野の別当の子で、兄頼朝と不和になり奥州に落ちる源義経に従い、安宅(あたか)の関での難を救い、衣川の戦で全身に矢を受けて立ちながら息絶えたと伝えられる。能・歌舞伎浄瑠璃などに英雄豪傑として描かれる。

強い者。また、強がる者。「内―」「陰―」
《弁慶が七つ道具を背負った姿、また、衣川の合戦で、体中に矢を射立てられて立ち往生した姿から》道具の名。
㋐竹筒に多くの穴をあけたもので、うちわや台所道具をさしておくもの。
㋑わらを束ね、筒状にしたものを棒の先につけて、風車や柄につけた飴(あめ)などをさし、売り歩いたもの。
大尽客の取り巻き。幇間(ほうかん)。
「勘六貴様も―に連れて行く」〈浄・歌祭文
弁慶縞」の略。

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百科事典マイペディアの解説

弁慶【べんけい】

平安末・鎌倉初期の僧。生没年不詳。紀伊(きい)国の熊野別当の子といわれ,武蔵坊と号した。源義経の従臣で,安宅(あたか)関で義経を救い,衣川(ころもがわ)の戦で討死したという。
→関連項目五条大橋瀬見[温泉]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

弁慶 べんけい

?-1189 平安後期-鎌倉時代の僧。
熊野(くまの)別当の子という。比叡山(ひえいざん)西塔で修行したが,のち源義経の従臣となり,安宅(あたかの)関で義経の危難をすくう。文治(ぶんじ)5年閏(うるう)4月30日衣(ころも)川の戦いで全身に矢をうけ,たったまま死んだという。「義経(ぎけい)記」「弁慶物語」などによって豪傑として伝説化された。幼名は鬼若丸。号は武蔵(むさし)坊。

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朝日日本歴史人物事典の解説

弁慶

没年:文治5.4.29?(1189.5.16)
生年:生年不詳
平安末期・鎌倉初期の僧。武蔵坊。源義経の腹心の郎従。その存在は『吾妻鏡』『平家物語』に散見されて確認されるが,詳細は不明。主に室町時代になってからの諸作品(『義経記』『弁慶物語』ほかの室町物語,幸若,謡曲など)に,豪傑として英雄的に描かれる。従って,その生涯は実在を離れ,異常誕生,鬼子,捨子童子,熊野信仰,天神信仰,観音信仰,兵法,鍛冶屋集団,巨人伝説,怪力伝説など,様々な伝承の型,民間信仰,伝説に彩られ,民衆の願望を籠めた,善悪両面を兼備し,諧謔味も交えた人物として成長していく。幼名鬼若。熊野別当の子として熊野に生まれる。出生時にすでに髪,歯が生え揃っていた。幼時に比叡山西塔桜本僧正に預けられるが,乱行を働き,放逐される。そのとき,自ら剃髪して弁慶と名乗る。その後,播磨書写山に籠るが,やはり乱行故に放逐され,京都に出て1000本の太刀を奪う悲願を立てる。最後の1本の持ち主義経に五条天神で出会い,翌日清水観音境内で闘い,主従の契りをなす。以後,義経の平家討伐に尽力し,義経の都落ちのときにも常に従う。大物浦では平家の怨霊を鎮め,各地の関所では危険をくぐり抜け,平泉まで同行し,文治5年の衣川の合戦では立ったまま死ぬ。近世の諸演劇にも取り入れられるが,忠臣としての側面が強調されていく。

(櫻井陽子)

弁慶

室町時代の足利義政のころ,将軍家方の番匠には明星,水銀などの異名を持つ棟梁たちがいたが,弁慶もそうした異名のひとつらしい。長享3(1489)年に初出する。のち家名となる。弁慶家は北野や祇園の大工職を持ち,江戸時代には中井配下に入って御扶持人棟梁家となった。

(永井規男)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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[日本酒・本格焼酎・泡盛]銘柄コレクションの解説

べんけい【弁慶】

石川の日本酒。酒名は、義経、弁慶の伝説が残る安宅の地へ先代の娘が嫁いだのをきっかけにつけられたもの。大吟醸酒本醸造酒がある。平成2、4、7、9、10年度全国新酒鑑評会で金賞受賞。原料米は五百万石、山田錦。仕込み水は白山の伏流水。蔵元の「山本酒造本店」は明治元年(1868)創業。所在地は能美市末寺町。

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世界大百科事典 第2版の解説

べんけい【弁慶】

源義経の郎従。武蔵坊と称する。没年は衣川の合戦で義経に殉じたとする伝承にもとづいて1189年(文治5)とされる。《吾妻鏡》や《平家物語》にその名が見えるので,実在の人物と考えられているが,詳しくは不明。その説話や伝承は,《義経記》をはじめ室町時代の物語草子,謡曲,幸若舞などに見え,各地の口碑伝説としても伝えられている。江戸時代になると,歌舞伎,浄瑠璃などの登場人物となってさまざまに脚色され,明治以後も唱歌に歌われるなど,弁慶ほど人々から親しまれた英雄豪傑も少ない。

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大辞林 第三版の解説

べんけい【弁慶】

○?~1189) 平安末・鎌倉初期の僧。「吾妻鏡」「義経記」などの伝えるところによれば、熊野の別当の子で比叡山西塔で修行し武蔵坊と称して武勇を好んだ。のち、源義経に仕えた。義経の奥州落ちに従い、安宅関、衣川の合戦などでの武勇は能・歌舞伎などに多く脚色された。
が強かったところから〕 強いもの、強がる者のたとえ。 「内-」
が七つ道具を背負った姿、あるいは体中に矢を受けた姿になぞらえていう〕 竹筒に穴をあけ、その穴に勝手道具や団扇などを差すようにしたもの。また、花かんざしなどを差しておく藁わらを束ねたものにもいう。
たいこもち。幇間ほうかん。 「判官きやくへいろ〱と讒こみずをいうて、ほかへ導く-衆も有よし/洒落本・秘事真告」
「弁慶縞」の略。

出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

弁慶
べんけい

伝説色の濃い豪勇の法師。武蔵坊(むさしぼう)と称し、源義経(よしつね)の家来として活躍した。『吾妻鏡(あづまかがみ)』文治(ぶんじ)元年(1185)11月3日と6日の条に、源頼朝(よりとも)の追討を避けて京都を落ちる源行家(ゆきいえ)・義経の従者の1人に「弁慶法師」「武蔵房弁慶」とみえる。そのほか『平家物語』『源平盛衰記』などに名がみえるが、その生涯は明らかでない。『義経記(ぎけいき)』などによると、熊野の別当(べっとう)の子で、鬼若と名づけられ、比叡(ひえい)山の西塔(さいとう)で修行した。山を抜け出してのち播磨(はりま)国の書写(しょしゃ)山(兵庫県姫路市)を焼く。洛中(らくちゅう)に出て他人の太刀(たち)を奪い取り、1000本目に義経の太刀をねらったが果たせず、義経と君臣の契約を結び、以後彼に従う。ついに奥州へ落ちた義経は1189年(文治5)自害するが、このとき弁慶は立往生を遂げたといわれる。謡曲『船(ふな)弁慶』『橋弁慶』『安宅(あたか)』、歌舞伎(かぶき)『勧進帳(かんじんちょう)』『弁慶上使(じょうし)』などに英雄的人物として描かれている。[田辺久子]

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世界大百科事典内の弁慶の言及

【嗚呼∥烏滸】より

…またオコなわざは古来から日本の演劇にともなっていたカケアイから来たもので,神楽の人長(にんぢよう)に対する才男(さいのお),田楽のモドキ役,翁に対する黒尉,狂言の大名に対する太郎冠者などの行為にオコをみる説もある。また,《義経記》では武蔵坊弁慶がオコの者と評される部分がたびたびあって,室町時代には何がオコと考えられたかがよくわかる。このオコの者と呼ばれる武蔵坊弁慶の行為を整理してみると《日葡辞書》に記されたオコの者の定義にそのままあてはまるようである。…

【勧進帳】より

…(2)能《安宅(あたか)》の部分の名。関守の疑いを解くため,弁慶(シテ)が即席に案文しながら偽りの勧進帳を読み上げる部分。読物という特殊な形式の曲節で,この部分を独立させて独吟として謡ったり,小鼓または大鼓1人と謡1人が共演する一調という形式で演じたりする。…

【鬼一法眼三略巻】より

…初演番付のおもな配役は,三段目切を竹本政太夫,四段目切を竹本大和太夫。人形では鬼一法眼・鬼若弁慶・一条大蔵を吉田文三郎,清盛・鬼三太を桐竹勘十郎など。題材は《義経記》から鬼一法眼や弁慶関連の項をとり,鞍馬天狗の話なども加えたもの。…

【高館】より

…義経より佐藤兄弟の残したよろいをたまわった鈴木は,たずさえた腹巻の由来を物語り,これを弟の亀井六郎に譲って,翌日の合戦では兄弟ともに奮戦して果てる。弁慶は舞を一番舞って,敵(かたき)の中を斬ってまわるが,やがて痛手を負い,義経と辞世の歌をかわした後,衣川(ころもがわ)のあたりで立往生する。なお,源義経の自害の梶原景時の死を語る《含状(ふくみじよう)》はその続編である。…

【田辺[市]】より

…湊にある闘鶏神社は,源平合戦に際して熊野別当湛増が,いずれに味方すべきか神前で紅白の鶏を戦わせて占ったという話で著名。また弁慶は湛増の子と伝えられ,当市では弁慶の出身地として祭りが行われる。関ヶ原の戦の後,浅野幸長が紀伊に入国,田辺には重臣浅野氏重が配された。…

【橋弁慶】より

…佐阿弥作ともいう。シテは武蔵坊弁慶。ある日弁慶は従者(ツレ)から,最近五条橋にふしぎな少年が現れて人を斬るといううわさを聞き,退治に出かける。…

【船弁慶】より

…後ジテは平知盛の怨霊。源義経(子方)は,兄頼朝との不和から都落ちをするはめになり,武蔵坊弁慶(ワキ)ら小人数を連れて西国に向かう。途中,摂津の大物ノ浦(だいもつのうら)の船宿で,あとを慕ってきた静御前(前ジテ)をさとし,都へ帰らせることにする。…

【弁慶物語】より

…御伽草子。鬼子(おにご)としての弁慶の出生から,御曹司(おんぞうし)義経の供をして奥州へ下るまでの物語。熊野別当弁心が熊野権現の若王子(にやくおうじ)から賜った若一(にやくいち)が,成長して比叡に登山し,乱暴をはたらき,みずから武蔵坊弁慶を名乗る。…

【幇間】より

…宴席で客の座興をとりもつことを業とする男。俗に太鼓持(たいこもち)(略して太鼓)というが,ほかにも弁慶,末社(まつしや),男芸者などの別称が多い。古く《あづま物語》(1614)に〈太鼓持〉の語があるが,詳細はわからない。…

【源義経】より

…義経の逸話や説話は《平家物語》《吾妻鏡》に見えるが,それは義経が武人としてはなばなしく活躍した世盛りの時代を中心としている。《平治物語》には簡略だが義経の生い立ちについて記し,《源平盛衰記》では断片的だが生い立ちや武蔵坊弁慶,伊勢三郎との関係にまで及んでいる。《義経記》では,その世盛りはむしろ省いて,その生い立ちと没落とを中心として,当時,民間に行われていたらしい伝承を,一代記風に集大成している。…

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