日本歴史地名大系 「気賀東村」の解説 気賀東村けがひがしむら 静岡県:磐田郡豊田町気賀東村[現在地名]豊田町富里(とみさと)・高見丘(たかみがおか)・東原(ひがしばら)・富岡(とみおか)・豊田気賀西村の東に位置する。近世初期の寺谷(てらだに)用水成立により同村と東西に分離したという。正保郷帳に村名がみえ、幕府領と旗本加々爪杢助領、田方二一四石余・畑方四六石余、岩田(いわた)大明神領三石・山徳院領二石。寛文九年(一六六九)の掛塚藩主加々爪甲斐守の検地では気賀本反別田二二町余・畑屋敷三町六反余・原畑一一町七反余の計三七町六反余(兼子家文書)。元禄郷帳では高三四六石余。国立史料館本元禄郷帳・享保郷村高帳・旧高旧領取調帳ともに旗本秋元領。東海道見付(みつけ)宿(現磐田市)の助郷役は中野戸(なかのと)村に同じ。享保年間(一七一六―三六)に上気賀(かみけが)(のちの気賀東村上組)を合併したといわれる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by